丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十一

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        荊州襄陽城(けいしゅうじょうようじょう)劉表が治所をおいた  
 
           丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十一
 
 「こちらに控える客人と一緒に棺(ひつぎ)を担いで墓にいれました」
「おまえはなんという奴だ、年端もいかぬ身でようやったぞ。客人よ、礼を言うぞ」
 洪が客人の手を握り締めた。
「いや、当然のことをしたまででござる」
 客人は顔を赤らめた。
「弔いの後でこちらに向かったのか」
 孟徳が問うた。
「いいえ。江(長江)を渡って呉へ逃れました。呉には祖父の知り合いがおりますゆえ」
「呉か。のどかに暮らしておればよいものを、なにゆえに虎の尾を踏むような旅をしてここへ」
 孟徳は呆れたようにまじまじと休をみた。
 江の渡し場の船頭は善人とは限らぬ、法外な渡し賃を吹きかけただろう。海賊もでたはず。
「曹将軍が義兵を興したという噂を耳にしたのです。父が生きていたらいち早く馳せ参じたはず、文烈は父の子でございますれば、馳せ参ずるのは当然のことでございましょう」
「おお、なんと……健気な……」
 夏侯惇が拳を目頭にあてごしごしこすった。
「姓名を偽り、江を渡って荊州(けいしゅう)にはいると間道づたいに酸棗(さんそう)へと進みました」
「なんて奴だ」
 思わず洪が休を抱きしめた。
「母は文烈を止めなかったのか?」
 孟徳が問うと休は頭をふった。
「老いては子に従えと申します。よくよく考えて子が決めたことなれば、母はたとえ火の中水の中、ついて行くまでの事ですわ」
 文烈の母は不思議そうに孟徳を見返した。曹将軍はなぜこのような愚かな問いを発するのかしらと正直に物語る顔だった。思わずわたしはくすりと笑う。母親ならおわかりでしょうと言う風に、文烈の母の目に微笑がゆらいだ。
「文烈よ。ああ、おまえはわが家の千里の駒じゃ」
 孟徳が休(文烈)の頭を撫でた。
 子は母のために死ぬに死ねず、母は子のために死ぬに死ねない。客人もまたこの母子を捨てるに忍びず、艱難千里をものともせず旅をしたのだ。大海に浮かぶ粟粒のような儚げな身ながら、智恵と勇気と信頼がこの者たちを助け導いたのである。わたしは泣いた。気丈な文烈の母もまた薄い肩を震わせて泣いていた。肩の荷が降りたのか、涙が客人の膝に大きなしみをつくっていた。
 
 曹休の虎尾を踏むような旅が孟徳の心に投げかけたものは大きかった。
 「おい、わしは張孟卓にかけあってくるぞ。我慢ならねぇ、義兵をあげて戦わぬとはなんだ、なんだ。河内(かだい)の袁本初に意見してやらねばならぬ。だらしがねぇぞ」
 威勢よく袖をぱっと奮うとのっしのっしと猛虎があたりを睥睨するような足取りで出ていってしまった。董卓と一戦交える気だ。
 
つづく