丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十三

        丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十三
 
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    写真は無錫三国城のセット 虎牢関(成皋関) グーグルMapより
 
 
 陳留太守の張邈(ちょうばく)は出兵を渋った。それが、孟徳の気迫に押されて承知した。
 「友とは、しみじみとよいものじゃ。孟卓(邈)はのう、わしが敗れたときのことを案じておったのじゃ。諸将はあのていたらく、いざの時に援軍など望めぬからのう」
 張邈のことを語るときの孟徳の目はなんともやさしい光を宿す。
 絵図を睨んでいた曹洪が顔をあげた。
「けっ。戦わぬ義兵どもが大きな顔をしよる」
 洪は絵図の成皋関(せいこうかん)に『曹』の旗印を置いた。
 このたびの出征は成皋関を取ることにあった。成皋関はまたの名を虎牢関ともいう。わたしたちが雒陽を脱出して越えた関城だ。都の喉元を押さえる大事な関所である。この関を奪って都へ攻め入る、これが孟徳西征の目的だった。
「西州兵の強さと残忍さに腰を抜かしおった。怖じたのじゃ」
 にたっと夏侯惇が笑った。
 董卓の軍と義兵の間で小競り合いがあったらしい。そのとき捕虜になった義兵の殺され方が惨い。いっそひと思いに殺せばよいものを、布を体中にまきつけると、そのうえに猪(ぶた)の油をまんべんなく塗りたくり、火をつけた。死が苦しみを解き放つまで悲鳴をあげながら義兵はのたうちまわった。魂魄の器たる肉体を焼かれては、死者は眠りの途につけず、あさましい亡鬼となって彷徨わねばならない。これほど恐ろしいことはない。
「わざと恐怖心を煽って戦意を砕く。人でなしが思いつく兵法じゃ。わしは勝つ。勝つぞ。勝たねば男が廃(すた)る」
 ぎゅっと唇をかむと、孟徳は拳を天に突き上げた。
 
 子脩が通り過ぎた。曹休が、趙単が、胡三明と胡娘が通り過ぎた。
 「え、えいっ。心配するな。どのような軍でも中軍というものは精鋭がそろっておる。
揃えておるから中軍じゃ。子脩は中軍に入れたからには猛者に護られておる」
 子脩を案ずるわたしを孟徳はそういって叱った。それにつけても子脩のりりしいこと、初々しい武者ぶりにおもわず目頭が熱くなった。
 車輪を軋ませながら輜重(しちょう)部隊が通り過ぎた。美しい騎馬武者が目の前を通り過ぎた。
 「あっ。……あれは」
 わたしは走った。
「お待ち。これっ。卞娘、待ちなさい」
 武者が馬をとめた。
「おまえ、なんて恰好をしているの?」
「……」
「まさか……ついて行く気では……」
「叱らないでくださいまし。わが君と離れて暮らすのは嫌でございますの。だからついて参ります」
「わが君がそのように仰せか?」
「いいえ。わたしがそう決めました」
 卞娘はそう言い放つと馬を急がせた。
「これっ。子供はどうしたのですかっ」
 大声で叫んだが荷車の音がうるさくて、少しもわたしの言うことを聞かぬ女の耳に届いたかどうか怪しい。子供は卞娘の母親にあずけたのだろう、さばさばした顔で土煙に溶けていった。
 卞娘はただの美しい女ではない、ときとしてその顔に浮かぶ男っぽさにたじろいでしまう。見た目より骨太で丈夫な質である。母親に泣きつかれたのか、自分の兄にも官位をくれとねだって孟徳にひどく罵られたが、性懲りもなく身内のために食糧や金品をねだった。そのたびに孟徳は「わしはおまえの家の入り婿か」と怒鳴り散らす。このたびの卞娘の従軍も、打算からか心底から孟徳を慕ってのことか、わたしにはわからない。卞娘は三十路を越えていたから、子を産んだとはいえ、おのれの地位の安泰への執着も否めない。それに、孟徳はどこまでもおのれについてくる者を粗末にできぬ質だ。
「酷い目に遭っても知らないわ」
 いまいましくて、わたしは土煙に向かって叫んだ。
 
※成皋関(せいこうかん。またの名は虎牢関)の関城跡は現在では草生す土の堆積 が残っているのみらしいです。ネットでこの写真売っていたのですが、一枚二万円 だったかな。
 丁夫人の雑記十一および十二で、 成皋関について解説しています。また参考になる写真を添付していますので、あわせてご覧くださいませ。イメージが沸くかと存じます。
 
続く(あさって更新予定)