丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 十九

           丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記十九
 
 遊牧騎馬民族の原風景
 
 匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、鉄勒(てつろく)などの遊牧騎馬民族が闊歩した土地を見て見たい。黄河が北河と南河に別れてまた合流するあたりはオルドス地方と呼ばれ、牛馬、羊が群れをなす肥沃な土地として有名である。
 時代によっては五原あるいは九原と名付けられ、漢民族と遊牧騎馬民族との熾烈な抗争が繰り返された土地でもある。
 あの呂布もまたこのような原風景に身を置いたはずだが、そのときのわたしは匈奴を始めとする遊牧騎馬民族のことしか念頭になかった。
  
  草原のシルクロードが存在したはずである。西域の商人たちは、匈奴柔然の帝国に異国の財宝をもたらしている。この草原のシルクロードの雰囲気に身を置いてみたい! そこで中国山西省の大同から北上して豊鎮を通り内モンゴル自治区呼和浩特(フフホト)へ出た。
 呼和浩特から大青山(陰山山脈)をしつこく見ながら西へ西へと行き、包頭(ぱおとう)に行く。
 「騎馬民族が馬で黄河を渡った」という所へ、黄河が一番細くなったところへ連れていってくれ」と、ガイドさんに頼むと、オルドス市北部の鳴沙湾というところへ連れて行かれた。
※鳴という字だったが、中国簡体字では口ヘンに向となっている。
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オルドス市ダラト旗鳴沙湾
 この写真はグーグルMapより
 
この砂山は黄河砂丘である。
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写真中央から右手に流れるのが黄河です。
歩いて渡れるので、みんな渡って砂山をよじ登って行きます。砂丘の上では
現地の人がラクダを貸し出して商売してしています。月の砂漠気分ですが、ラクダの瘤が折れていたのだ。酷使のせいか?
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観光客がせっせと登って行きます。
黄河が満水になるとこの砂丘は三メートルくらい水没してしまいます。←砂丘の麓から高さ三メートルのあたりですよ、水没するのは。
(二枚目、三枚目の写真は私が写したものです)
 
鳴沙の名の由来は、ペットボトルに三分の一くらい、この砂を入れて振ると、「びょ~ん。びょ~ん」と音がするからです。
 
これならなんなく騎馬で河を渡れますから、水に不慣れと言われた騎馬民族もなんなく河を渡れます。