曹操と七十二の偽墓

誰だって死後に自分の墓を荒らされるのは嫌だろう。墓荒らしに黄泉の眠りを妨げられ、遺骨をばらばらにされたらと思うとぞっとする。
とくに敵が多い者にとってはこれは深刻な問題である。仇の墓を暴いて遺骨を焼き払ってしまうことは、よくある復讐の手段である。
「墓荒らしの裏をかいてやらねば」と曹操は知恵を絞った。
それで本物以外に七十二の偽墓をつくった。
偽墓を暴いていくうちに墓荒らしも根負けすると思ったのだろう。この謀(はかりごと)はうまくいき、死後千数百年、曹操の黄泉の眠りを妨げるものはなかった。

許(きょ。河南省)の城外の河である夏の日に、怪事件が起きた。
その河ときたら、河岸がきりたつような崖になっていて、水の深みは計り知れないので、あまり人が近寄らなかったらしい。
あまりの暑さに、河で水浴びした者がいた。たちまち水が血に染まり、真っ二つに断ち切られたその男の死骸が上がった。なにかしら、刀か斧みたいな刃物を使ったようにスパッと切れていたらしい。はて、面妖な、迷信深い当時の人々は、さぞ驚いただろう。
次にもまた、河で水浴びした者が同じような死にかたをした。
怪しい噂が飛び交ったに違いない。
こうなっては捨てておけない。
県知事は河の上流をせき止めさせ、河を乾しあげた。すると河岸の崖が全容をみせた。崖にほら穴があいていて、穴の入口に水車がしかけてあった。この水車の物騒なしろもので、周囲にするどい刃物が取りつけられていたのだ。
怪しい!
水車を取り去って、穴の中に入らせると小さな石碑があったという。文字は漢代の篆書(てんしょ)で、曹孟徳(曹操の字)の冢(ちょう。墓のこと)と書いてあった。
さっそく、棺をこわして納めてあった金や財宝を取った。おかげで、骨はばらばらに散乱したという。

水の中とは考えたものだ。千年以上もたてば土砂が積もって河道も変わる、地形もかわる、それで見つかったのだろう。曹操の知恵でもっても、墓荒らしには勝てぬということか。しかし、当時の人も、この話を収録した人も、曹操にいい感情を持っていない。

参考:平凡社版 奇書シリーズ「聊斎志異(りょうさいしい)」より