丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十

          丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十
 
 日が高く昇っていたので、市もそろそろ店じまいである。そちこちの店で棚や筵を片付けていた。人だかりの向こうから渙の声が流れてきた。
 「義を唱えて尊い旗のもとに集った諸君よ。諸君に曹公は告げた。戦わずしてなんの大義があろう、と。諸君は蝗(いなご)か? 食が尽きれば食のあるところ目指して飛び去る蝗か? さにあらず……」
 渙がぬっと首をつきだしてあたりを睨む。まるで力士のように勇壮だと思った瞬間、群衆からぱらぱらと石が飛んだ。
「うるせえっ! う、う、うるせぇ」
「わしの従兄を返せ。滎陽(けいよう)に行ったまま戻らぬわぃ」
「へん。曹孟徳はどうした、逃げたのじゃろ?」
「そうだそうだ、真っ先に逃げたのじゃねぇか?」
「敗軍の将はなんとする。自分で自分の首を刎(は)ねて謝罪しろ!」
 群衆の中から野次が飛んだ。なかには朝から酒びたりなのか呂律が回らぬ者までいた。
「口車に乗るな。乗ったら最後、犬死じゃ。ひっひっひ」
 酔っ払いが喚いた。
「おやおや、朝っぱらから酔うておいでだ。義旗が泣きますぞ」
 思わずわたしは声高に叫んだ。
「やっ。女だ」
「けっ。女は家に帰って飯でも炊いておれ」
「おまえさまの妻は飯ばかり炊いてござるか? わが夫は義旗のために命を張っておる、飯ばかり炊いてなんになりましょう」
 惇の妻が怒鳴り返した。
 群衆の好奇の目がわたしたちに向けられた。かまわずわたしたちは戸板を担いだまま渙に歩み寄った。
「公劉殿、お怪我はございませぬか」
「いえいえ、蚤か蚊が刺したようなもの。大したことはござらぬ」
「盾となりましょう。存分に続けられませ」
 そういうが早いか、手際良く私たちは戸板で渙と博労を取り囲んだ。「奥方」と、何か言いかけて博労は目を伏せ、丁寧に一礼した。石が博労の頬をかすったらしい、血がにじんでいた。
「まあ、そなた……。痛くはないか」
 わたしの問いかけに博労はかぶりをふって応えた。
 「……わが盟主、袁勃海(袁紹のこと)は河内の衆を率いて孟津に臨め。ああ、諸君、酸棗の諸君は西へ進め。成皋(せいこう。虎牢のこと)関に拠り、敖倉(ごうそう)へと進み、轘轅(かんえん)、大谷の諸関を塞ぐのじゃーっ。おお、わが袁将軍(袁術をさす)は南陽の衆を率いて丹、析に布陣して武関に入られいっ。さすれば王畿の地、三輔は震駭(しんがい)する。されど、されど曹公は言われた、『塞の壁を高く築いて決して撃って出てはならぬ』と。ここが肝心じゃ、決して撃って出てはならぬ。目くらましに擬兵を並べて敵を欺き、いたぶってやれっ。あ奴らに、袋の鼠じゃ四面楚歌じゃと、天下の形勢を知らしめるのじゃ。三輔の人士は続々とわれらが陣営に集うであろう。われらは帝室への忠孝をもって不義を討つ者である。されば孤立せず。さればたやすく勝つ、勝てるのじゃ。今、兵士は義をもって立てる者たちである。ためらいぐずぐすしておると衆望は去る。わが曹公は諸君のために、ひそかにこれを恥じておられる……」
 渙は額に汗をかきながらとうとうと語った。が、群衆は一人去り、二人去りと姿を消してしまい、。市が立った広場は、饅頭売りや餅売りがわずかに居残っているぐらいで閑散としていた。
 博労や史渙たちの顔が暗かったのはこの檄文のせいだった。渙がもたらした書を張邈は無視することにしたのだ。孟徳は敗軍の将である。出兵のいきさつからすれば面目をつぶされたのである、邈は。孟徳という無二の親友との間に心の距離ができた。太っ腹で、気前よく困窮した者を援助し、侠気ある漢(おとこ)と評された邈は、
酸棗十万の衆の頂点に立つうちに、評判を気にするようになってしまった。
「昔からあいつは、大口叩きよる。調子のよい奴だった。あいつの口車に乗ってしまったわしが愚かだったわい」と、内心では苦々しく思っていたのである。
 「ああ、勝ち戦なら状況はかわっていたのに……。時機が悪い」と、わたしは孟徳の不運ず悔しくて唇をかんだ。
 
続く