丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十四

       丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十四
 
武関
 あの有名な武関である。
 三国志に関していえば、袁術が雒陽(らくよう)から脱出し、武関を通って南陽に入った。
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陝西省商洛市武関鎮付近 武関城があった土地
 
 
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陝西省商洛市武関鎮を流れる武関河。橋の名は毛坪橋。
 
 曹操が袁将軍(術)は丹(たん)、析(せき)から南陽の衆を率いて武関に入れと
説いた武関である。丹、析はともに川の名である。丹水と古地図に記されている位置を流れる水名が、写真では武関河となっている。
 
 潼関(どうかん)
 
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陝西省渭南市。  黄河に面した古の潼関
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潼関城の城内。城壁をうまく生かした住居。
 山西省の雁門関に行ったときも城内には、このように城壁を利用した民家が続いていた。おそらく城壁のうえに上がる階段部分を生かしているのか? 中を覗いたことがないのでわからない。
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潼関城の城壁の中から望む黄河
 
 伊闕関(いけつかん)は洛陽市南、竜門石窟のあたりらしい。
 
 大谷関は伊闕関の東南あたり。
 
 轘轅関(かんえんかん)は嵩山(すうざん)の西北三十キロあたりらしいが、
これも写真を見つけ出せない。
 以上写真はグーグルマップより。