2012-04-10 丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十四 人文 歴史 #歴史 丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十四 武関 あの有名な武関である。 三国志に関していえば、袁術が雒陽(らくよう)から脱出し、武関を通って南陽に入った。 陝西省商洛市武関鎮付近 武関城があった土地 陝西省商洛市武関鎮を流れる武関河。橋の名は毛坪橋。 曹操が袁将軍(術)は丹(たん)、析(せき)から南陽の衆を率いて武関に入れと 説いた武関である。丹、析はともに川の名である。丹水と古地図に記されている位置を流れる水名が、写真では武関河となっている。 潼関(どうかん) 陝西省渭南市。 黄河に面した古の潼関 潼関城の城内。城壁をうまく生かした住居。 山西省の雁門関に行ったときも城内には、このように城壁を利用した民家が続いていた。おそらく城壁のうえに上がる階段部分を生かしているのか? 中を覗いたことがないのでわからない。 潼関城の城壁の中から望む黄河。 伊闕関(いけつかん)は洛陽市南、竜門石窟のあたりらしい。 大谷関は伊闕関の東南あたり。 轘轅関(かんえんかん)は嵩山(すうざん)の西北三十キロあたりらしいが、 これも写真を見つけ出せない。 以上写真はグーグルマップより。