丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十五 虎牢関(成皋関)
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記 二十五 虎牢関(成皋関)
虎牢関(ころうかん)またの名は成皋関(せいこうかん)
呂布の点将台全景
わたしが『丁夫人の嘆き 雑記 七』
を書いた時点でグーグルマップのどこを捜しても虎牢関の写真はなかった。ああ、画像が欲しい! 欲しいなあ。
そのころネットを検索すると、中国のカメラマンらしい人が虎牢関の崩れた城壁の写真を二万円だか、三万円で売っていた。買う気になんかなれません。
それが、ここ二年足らずの間に事情が急転したらしく、『レッドクリフ赤壁』の映画のせいか、三国志ツアーとやらで三国城やら虎牢関へ行く人が増えたらしい。写真だらけになった。けれどもそのような人の写真を掲載するわけにはいかない。
何気なく虎牢関のあたりをグーグルマップで調べていると虎牢関のすばらしい写真がヒットしたのだ。しかもこの写真を投稿された方は、城壁の作り方にも素養があるので、虎牢関の城壁の築き方までよくわかるのだ。見せ方を心得た写真である。と、いうよりも虎牢関の歴史もよく心得ている方のように思えるから写真が、実によい。
成皋故城(虎牢関)の呂布の点将台
点将台とは辞書を引いても出てこないが
将台とは指揮する台(うてな)のことで水滸伝に用例がある。点はしらべる、数える という意味である。
呂布が閲兵および指揮した台(うてな)のことで、この上に台閣が建っていたのだろう。
呂布の点将台