丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十三

              丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十三
 
 
 雒陽(らくよう)にいた頃の孟徳は身分も高く、才にふさわしい役職を拜命したものだった。それを私は至極当たり前のことのように思っていた。四海横流する今、世情は曹家のような宦官あがりの一門をことさらに卑しみ、才無き者が財宝で高位高官を買ったといわんばかりの冷ややかな目で見た。
 あのころは、官職に値が定められていて、誰もが財宝を積んで官職を拜命しなければならなかったではないか?
 能力を認められて朝廷から官職を拜命しても、それに見合う銭を納めなければならない決まりだった。潔癖なさるお方は民から搾り取るのを耐え難く思い、自ら命を絶ったではないか。買った官職に相当する以上の銭を任地から取り立てねばならない、あまりにも惨く搾り取ったので、堪えきれずに民は黄巾の徒に与して反乱を起こしたと聞く。
 宦官への嫌悪感もわからぬではない、あれは諸悪の根源だったから。董卓のような悪人をああまで増長させてしまったのは、宦官の目に余る横暴だった。栄華を恣にした宦官は没落し鳴りを潜めた。
 ふと、思うのである。もしも、孟徳が董卓討伐の兵を挙げなかったら……と。「恐らく曹氏は爵位を奪われ、百年は仕官できぬ」と、つぶやいて私は慌てて居ずまいを正した。わが君への世評が芳しくないとて、泣くのはよそう。わが君、孟徳は誰よりも早く義兵を挙げた。これが曹氏一門を安泰させる唯一の手立てであった。大胆かつ先を見据えた深慮遠謀には舌をまく。四劉もそうだろうか? 英雄ともてはやす者もいるが……。
 
 あれは滎陽(けいよう)に出陣するまえのこと、孟徳と博労の李が熱心に話し込んでいたことを思い出す。
 「……うむ、そうか。龍の血は蘇ると噂しておるのだな」
「左様で。北の方ではもっぱらの噂でござんす。あの家の桑の木が、貴人にさしかける絹の傘の形をしとりますので、なおさらでござんす」
 分をわきまえた男である、博労はいつものようにかしこまっていた。
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   河北省涿州(たくしゅう)市の劉備の屋敷跡。涿州(たくしゅう)市は北京の南にある。
 
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河北省涿州(たくしゅう)市の楼桑村 桃園の誓い
 
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河北省涿州(たくしゅう)市の楼桑村、張飛廟内の張飛
 
 前朝の高祖(劉邦)は龍種と信じられていた。ご生母は龍に感じて高祖を宿したからである。
「劉氏は龍の子孫ゆえ、滅びんとするときに龍の血が蘇り英雄を生むというのじゃな」
「左様でございます。劉氏が王莽(おうもう)に滅ぼされたとき、龍の血が蘇った。だから劉氏のなかから光武帝(劉秀)が現れて漢朝を再興したというのです」
「流言飛語の類じゃ、こりゃどこぞの耳目の仕業じゃな」
「あっしもそう思います。いま、すでにどこぞで龍の血が蘇ったとも噂しております」
「漢朝、天下に臨むことおよそ四百年、といっても四百年にはまだ数十年もあるが」
 孟徳はずるそうににやっと笑った。
「殿様が何をおっしゃろうとしているのか、あっしにはわかっておりますぞ。劉氏の天下は永うござんす、天子といえば劉氏しか知らないのでござんす、大方は。龍だか馬だか知りませんがどこの馬の骨とも……いやいやあっしの口から申すのは……」
「言いにくければわしが言ってやろう。ちかごろとみに人気を集めている涿郡(たくぐん。河北省涿州市)の劉備のことじゃな」
「さようで」
 博労の李は片頬を歪めて笑った。言外に含みをもたせた微妙な笑い方である。
 
 
 続く(明日更新)
写真はグーグルマップより引用いたしました。