丁夫人の嘆き(曹操の後庭)七十四

            丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十四
 
 
 「前朝の景帝じゃ、景帝の第八子に中山靖王(劉勝 BC113没)と諡(おくりな)された王がおられるが、この王の末裔という。といっても正嫡ではなく、靖王の庶子である劉禎(りゅうてい)の末裔じゃ。本家筋ではなく分家筋じゃがのう、これがまた数知れぬわ」
 得意そうに孟徳は笑う。
「今を去ること凡そ三百年前に枝分かれした家系でござんしょ。村の一つや二つ作れるほどの大所帯に増えておりまさぁ」
「村の一つや二つどころじゃ納まらぬだろうよ」
「そいじゃ、いい顔ですな。名家でも小人数では力が無うて困る。大所帯は顔が利きまさぁ。その土地の有力者、豪族ってとこでさ」
「中山靖王は子福者でのう、その子福者が幸いした。子や孫まで含めると靖王の男児は百二十人以上もいたというではないか。子孫繁栄のよい例じゃよ」
「あっしのような者には側女を大勢はべらせてご先祖に奉仕するなど、夢のまた夢でござんす」
「富貴とはそのようなものよ。美味いものを腹一杯食い、錦の衣をまとい、玉の御殿に住んで綺麗な女をはべらせる。ぐるりとあたりを見回せば、口ではきれい事を言う豺狼どもばかりじゃ。隙あらば一朝にして富貴を掴もうと躍起になっておる」
 熱く弁じたてるあまり孟徳は身を乗り出し、博労の顔をのぞき込む。笑うかと思いきや、博労は顔を背けた。まるで、孟徳に心の中を探られまいとするかのように。
「……おまえは富貴を自分の手で掴み取ってやろうとは思わぬか?」
「……」
「無欲は大欲に通ずるというが……おまえは人一倍欲が深いのかも知れぬ……。ま、よかろう。そのときになったら考えて見よ」
 鼻白んだように孟徳が身を正した。
「いえ、あっしのような人間には想像がつかないだけで……。その、こちらに向かっている劉備は今の天子様とは三百年も血が隔たっているのでござんしょ。宗室といっても色々ありまさぁね」
「そこじゃがのう。わしは再興した漢朝と王莽が滅ぼした漢朝とは、別の系統の劉氏だと考えておる。光武帝もまた劉備のように、劉姓の豪族から身を興された。血は遠すぎるが、劉姓という錦の御旗をうまく使いやがったのさ」
「話が難しゅうてあっしの頭にゃ」
 博労が頭を叩く。
「すまぬのう。わっはっは」
「殿様。するていうと四劉のやつら、錦の御旗にあやかっているといえますな。錦を剥いでみたら、到底、殿様にはかないやせん」
 博労は目を細めて孟徳を見た。
 そうだわ、そうよ。四劉を恐れることはない。孟徳は言っていた、劉備の戦は素人戦だと。
 目を閉じて私はまだ見ぬ劉備という男を想像してみた。
 
 
続く(明日更新予定)