丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十五

今回はこれまでのあらすじです
 
 
主な登場人物
丁夫人   曹操の先妻。曹操の母の一族である。子供に恵まれず、曹操の側室         だった劉夫人の遺児、曹昂(そうこう。字は子脩)を養子にする。彼女は        子脩に夢中になる。
曹操     字は孟徳、沛国譙(しょう。今の安徽省亳州市である)の人。孟徳の家         土地の豪族だったらしいが、宦官から高官に成り上がった家で、い          わゆる名門ではない。後、魏の武帝と諡(おくりな)される。
卞(べん)氏 瑯邪(ろうや)開陽(現、山東省)の人。妓楼の娘で二十歳で曹操の側室        になる。魏の文帝曹丕(そうひ)の母。後に曹操の正妻になる。正史で         は美談づくめだが、後宮の悪事は書かない決まりになっていると史官        自らが吐露している。純朴な気質だが、本当は目端が利く利口者。史        書とは違って金品や官位をねだるものだから、曹操は彼女をよく罵っ         ている。
博労の李  もと黄巾の賊徒。孟徳に命を助けられ、耳目(じもく。ここでは間諜)とな        った。
胡三明   もと黄巾の賊徒。美貌の武芸者だが、俳優(わざおぎ)のように優雅な         美貌の若者
 
 
 丁夫人の嘆き これまでのあらすじ
 
 後漢末のことである。
 蓄財と宮殿造営に励む霊帝は、その財源を売官の制度でまかなった。官位を銭で売るのである。この売官の制度は無能で豺狼のような役人を増やし、為政を綻ばせた。官位を購った者は、支払った銭以上の銭を得るために民から搾り取った。ために、政は賄賂にまみれ、搾り取られる民は塗炭の苦しみに喘ぐ。
 そのような世の中で、民の病気を癒し希望を与えたのが太平道を説く鉅鹿(きょろく)の張角であった。酷い役人に不満をもつ民衆を吸収して教団はふくれあがった。
 張角太平道による新しい国を作るべく反乱を起こした。彼らは一様に目印に黄色の頭巾をつけたために黄巾の賊と呼ばれた。乱は大規模でこれを平定したものの漢の国力は著しく衰えた。
 霊帝は暗愚な皇帝を示す霊という諡を付けられたが、生来の資質は暗愚ではない。霊帝の耳目を覆い、為政の真の姿を見せようとはしなかったのは、宦官のせいである。
 その結果、雒陽の一等地には宮殿と見まごう宦官の邸宅が連なり、利権にありつこうとする輩の車がお屋敷町の道路を塞いだ。
 
天下の悪は宦官にあり、諸悪の根源は宦官だ、斃せ! 宦官を除けと言う声が高まった。
 霊帝崩御すると、何皇后が生んだ劉辯(少帝)が即位する。何皇后は異母兄に連れられて都に上り、宦官の手づるで後宮に入り、その力を背景に皇后にまで上り詰めた。いまや皇太后である、幼い天子よりも権力を振るう。
  皇太后の異母妹兄である大将軍何進は、都で才子との評判をとっていた袁紹を抜擢し、腹心とも頼んだ。袁紹はせっせと「宦官を一掃なさいませ」と何進にすすめるが、肝心の皇太后は宦官に恩義を感じていて賛成しない。ついに袁紹は、太后が宦官一掃を承知しないなら「武力で脅して宦官を除かせるがよろしい」と勧めた。袁紹の提案に逡巡したものの、ついに何進は各地の武将を招集することを承知する。
 兵が到着しないうちに何進は宮中で宦官に殺される。
 宦官による内乱は収拾がついたものの、野心家の董卓が三千の兵を率いて雒陽を囲む。董卓は機略に長けていてかがり火を細工して、兵の数を数万に見せ、都を震撼させた。ついには少帝辯を廃して、王美人が生んだ献帝(劉協)を立てた。この廃立騒ぎの最中に袁紹袁術は雒陽を脱出する。曹操もまたわずかな伴をつれて都を抜け出し故郷をめざした。
 己吾城(きごしょう)で陳留の孝廉衞茲(字は子許)の助けを得て真っ先に義兵を挙げる。
 翌年の初平元年(190年)一月には、雒陽より東の各地で袁紹を盟主に推して様々な勢力が義兵を挙げた。
 二月になると董卓は天子と都の人々を長安に移し、おのれは雒陽に居残って義軍掃討の指揮を執った。
 このころ、袁紹と仲が悪い袁術南陽に、袁紹は河内、張邈(ちょうばく)と劉岱、橋瑁(きょうぼう)は酸棗(さんそう)に、孔伷(こうちゅう)は潁川(えいせん)、冀州牧の韓馥(かんふく)は鄴(ぎょう)に拠っていた。
 義軍の衆は十万を超えていた。曹操は親友の張邈がいる酸棗にいたが、諸将は董卓を恐れて戦わない。曹操は義兵が瓦解しないうちに戦おうと説いたが同意を得られない。ようやく張邈を説得して西征の途につくが、滎陽(けいよう)で董卓の武将徐栄に遭遇し、惨敗する。曹操に合流した衞茲は勇壮に戦い戦死した。
 負傷した曹操は従弟(いとこ)の曹洪に助けられ、夜陰に紛れて戦場を去る。そして新たな兵を募るために故郷の譙に向かった。
 策士、袁紹は天子を救いに長安まで行くのは遠いし危険すぎると思った。それよりも宗室の年長者を立てたほうが手っ取り早い。劉虞という男を帝に擁立しようと画策した。そこで密偵を使い、献帝霊帝の子でないという噂を広めていた。
そのころ、世上では龍の血が蘇ると噂されていた。思えば、漢朝は危うくなると、子孫の中に眠る龍の血が蘇り、危地を脱するのだという。さて、龍の血を受け継ぐ者はだれか?