丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十九

           丁夫人の嘆き(曹操の後庭)   七十九
 
 「子脩よ。州牧と刺史の違いか?」
 息子を前にすると孟徳はわざと背筋を伸ばし威厳をつくる。でも、決してよそよそしくないのは、細めた目でわかる。父は子にとって君主のようなもの、絶対の存在であることを態度で示しているつもりらしい。
「はい。新しい制度について皆がとやかく噂しておりますが、私は父上の明察を拝聴しとうございます」
「役目は同じだが、牧の方が刺史よりも大きな権限が与えられたのだよ」
「権限が大きいということは、牧に異を唱える者を、ついには武力で押さえても許されるということでしょうか?」
「うむ、そうなるだろう。監軍使者という職を兼ねているゆえに、郡太守は正当な理由なく兵を動かせんぞ、州牧にとやかく言われるからのう。郡太守が州牧の顔色を伺うようになる」
「ならば父上、地方は平安をとりもどすのですね」
「いや。そうはなるまい!」
 孟徳が眉をはねあげた。確信に満ちた言い方だつたので、私と子脩は思わず顔を見合わせた。
「遅すぎたのじゃ」
 孟徳は顎をつきだし、合点するように頷いた。
「巷でもそう噂するものがおります」
「劉焉は交州に行こうと思い、その筋に働きかけておった」
「交州でございますか?」
「まあ、あのように辺鄙な所へ。暑すぎて裸で過ごすような土地じゃございませんか?」
 私も子脩も目を丸くした。
「いやいや。君郎(焉)が目をつけたのは交州は交州でも交趾郡(こうしぐん))だ。日南や九真郡とちがって酷熱の地というわけではない。江南や荊州でも暑くてやりきれないぞ。交趾の夏は凌ぎよい、冬はこちらの春のようなあんばい
 
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  後漢の交州(濃い桃色の部分) 中国歴史地図集より  
  香港、マカオからベトナムまで含む。海南島はまだ中国の版図ではない。
  交趾郡はベトナム北部で、郡の治所はハノイである。
 
 
 「まあ、春のような冬なのですか」
 冬用の綿入れの上着を用意しなくてもよいなら、女達はどれだけ洛をできるかしら、思わず私はうっとりと目を細めた。
「そうさ。山海の珍味に恵まれ、海を越えて西方や南方の奇貨が集まる。四年もおれば分限者よ」
「その地にたどりつくまでに倒れる者が出ましょうに」
「なに、それは運次第だ。ここにいても死ぬ奴は死ぬ。漢の武力を頼みにたいした暮らしぶりらしい。しかも交州だけは特別のはからいで、漢の威力を誇示だが、郡太守の行列は鼓吹や旗飾り、車や輿は王侯のものが許されるのだ」
「夢のような待遇でございますこと。なにゆえに君郎殿は益州牧になられたのでしょうか?」
「そりゃ、益州には天子の気がたちこめていたからじゃよ」
 孟徳は子脩に目を向け、声を潜めた。
「いいか。今の父の言葉は口外するでないぞ。妖言はどんな罪を招くかわからぬ」
「はい。男の約束でございますね」
「そうだ。男というものは約束という秘密を重ねておのれを磨いていく」
「はい」
 子脩は頬を赤らめて目を輝かせた。
「父上。劉益州はとんだ野心家かもしれませぬ」
「うむ。若い頃は幽山深谷に籠もって学問にふけり教授した男が、儒緩にもならず目端の利くことおびただしいわい」
「儒緩とは父上、学者馬鹿のことでございましょ。儒者の動作が緩慢なことから、融通が利かぬ愚か者を言うようになったとか……」
「学問は生きる指針じゃがのう、儒緩にはなるなよ」
「はい。私は父上のような男になりとうございます」
 子脩は目を輝かせて孟徳を見つめている。
 あのような男になるのも考え物だと思いつつも、私はなぜか目頭が熱くなり袖で顔を覆ったものである。
 雒陽でのありきたりの日々が今、値千金の珠玉のように思えてならない。国が乱れると言うことは当たり前のささやかな幸せが奪われることだ。子脩と孟徳はどこで何をしているのかしら?
 
 続く。