丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十

         丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十
 
 どこまで行っても変わり映えがしない景色が続く。酸棗(さんそう)は山一つない平らかな地で、目を凝らせば数里先まで見渡せそうだ。街道はあたり一面の黍畑と桑畑の間を通っていて、土地の名の由来になった酸棗(さねぶとなつめ)の木がそちこちで芽吹いていた。酸棗(さねぶとなつめ)の小さな緑色の花が実になる頃、私はどこをどう彷徨うているだろう。 酸棗にひしめいた衆はいつの間にか散らばってしまい、祭りの後のような寂寥感が漂っていた。人々の感傷をよそに季節の営みは律儀に訪れ、孟徳がいない間に桑の花が咲き、実が熟した。
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写真は曹操が揚州兵の反乱で危地に陥った龍亢(りゅうこう。安徽省蚌埠市の渦河水系)付近から譙  城へむかう道筋の風景。譙城の南郊といった方が正確で、狩猟で行き来していたはずだ睨んでい   る。写真はグーグルマップより引用。絵画のような風景である。渦河(古水名は渦水)の本流は数キロ  左寄りらしい。
 
 鍛冶屋は熱いうちに鉄を打つ。この地の武将どもは、不義を伐ちたいという衆人のたぎる思いに水をさしたわけだ。機運の高まりをうまく利用できないのは下策中の下策である。そのくせに酩酊した口先ときたらすでに百戦を戦ったつもりでいる。それでも、旗幟(きしょく)を鮮明にしただけでも良しと思わねばなるまいと、密かに私は帛(きぬ)に記した。
 『一夫耕さざれば天下飢え、一婦織らざれば天下凍ゆ』という。「荷物はまとめておきなさるがよい」と、博労の李が言い残したように、孟徳が戻ってくればすぐにもここを離れることになるかもしれない。だからといって何もしないで過ごすわけにはいかない。空いている畑を借りて女子供や年寄りと一緒に黍を植え、青物を育てた。蚕を飼った。その合間に交代で街道に出て、旅人に飲み水を振る舞っては諸国の噂話に耳をそばだてた。至る所に盗賊がはびこっていた。故郷の譙では居残った人々が塁(とりで)を作って自衛しているという。女たちが衣の裾を長く曳き、腰の佩玉(おびだま)を涼やかに鳴らして歩んだ日々の記憶をたぐり寄せては、不覚にも涙がこぼれそうになった。白玉のような手と褒めそやされた手は、農婦のように日に焼けて艶も失せ、いたずらに帛をささくれだたす。泣いてなどいられない。この国で一番尊いお方ですらお腹を空かせていらっしゃるのだ。長安の狭い役所で心細い思いをなさっておいでだ。侍女や大臣たちは何を食しておいでやら……。「これは……やはり、……漢朝が滅びたということかしら?」と、独り言が口をついて出て、思わず私はおのれの頬をぴしゃと叩いた。下らぬ繰り言はやめよう、とにかく私は猛徳の元に身を寄せた者たちを飢えさせてはならない。桑の実を摘ませてそれを干して粉にして甕に蓄えた。気がかりなことは蚕である、繭(まゆ)を作るまで育てる暇があるかしら?
 
 床几に腰をかけ、机によりかかって翡翠色の桑の葉に目をそよがせているうちに、底なしの眠りに墜ちてしまったらしい。夢の中で驢馬がいなないた。私は譙の費亭の館で驢馬に乗ろうとしているか……。
「奥さん、水をくださるのかね」
 威勢のよい男の声がした。水……。ぼんやりと目を開けると荷車を引いた驢馬が水桶に首をつっこんで美味そうに水を飲んでいた。
「お水、頂けるのですかね」
 疲れたような四十(よそじ)の女が私の顔のぞき込んだ。
 長旅を続けたらしい、埃まみれの老若男女が小屋にひしめいている。
「ええ、どうぞ。さあさ、お掛けになって」
 急いで床几を勧めた。
 子供達が旅の女が差し出す水瓶を大切そうに受け取った。
「おばさん。湯冷ましだから水あたりしないよ」
「そうかね。こりゃ有り難いよ」
 旅の者たちは声を立てて笑った。
 
 続く(明日までに更新します)