丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十一

        丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十一
 
 「おじさんたち、どこから来たの?」
 子供たちがあどけない顔で問いかけた。
「揚州じゃよ」
 濡れ手ぬぐいで愛しげに我が子の顔を拭っていた男が顔をあげた。
「それはそれは子連れで難儀しなさった。おお、男らしい眉をした童じゃ」
 揚州と聞いて私は胸を躍らせた。
「今、思い出してもぞっとする」
 男が連れの女を振り返った。
「ここが死に場所と覚悟したよ、ほんにぞっとする」
 こくりと女が頷いた。
「苦労しなすったのだね。揚州のどこからおいでじゃ?」
 夏侯惇の妻が如才なく笑顔をつくる。
「九江郡ですわい」
「おや、九江郡かい? 揚州の北だね」
 惇の妻は歌うように語尾を引きのばした。
 九江郡の陰陵(安徽省鳳陽県か?)には揚州刺史の役所がある。曹洪(字は子廉)は揚州刺史の陳温と懇意にしている。陳温に兵士を借りに行ったのだ。
 「おじさんたち、揚州訛りじゃないね。おいら、村のおじさんとしゃべっているような気がするよ」
「するどい童じゃわい。わしらは揚州の者じゃねぇ、沛国臨睢(りんすい)の者だ」
 男は屈託なく笑った。
 豫州の沛国と揚州の九江郡は淮水(わいすい)を挟んで隣り合っていた。旅は辛く危険に満ちていたが、遠いと言えば遠いが、妥当な避難先である。
「なんだ、おいらも沛国だよ、譙(しょう)の出だ」
「おやっ、こりゃ奇遇だぜ。わしらはよくよく譙の人に縁があるらしい」
 男は目を丸くした。
「私たちは譙の出だという曹将軍の軍にくっついて揚州を出たのだよ。どうも揚州の水が性に合わなくてさぁ……」
「えっ、曹将軍! 」
 柄杓が私の手からぽとりと落ちた。
「もしやあんた、曹将軍の身内かい?」
 女の顔が強ばった。
「そんなご大層な……同郷のよしみで気になるのさ。三公を出した家柄だからね」
「そうかい。びっくりしたよぅ、よくみればあんたはわたしのような農婦じゃない。大家の奥さまみたいだし、曹将軍の名がでると目ん玉が飛び出しそうな顔をするんだから」
「驚かせて悪かった。いぇねぇ大家に奉公はしたけどね」
「あらまあ、おまえさんは侍女だったのかい。道理で身のこなしがあか抜けていなさる」
 女は無遠慮に私を睨め回した。
「気の毒にのう」
 男がため息をついた。
「そうさ。あんな死に方をして」
「この酸棗に身内がいると聞いたが、そのうち、家来たちが報せに行くだろうなぁ」
 夫婦者の言葉に小屋の中の空気が凍り付いた。口をぽかんと開けて呆けた顔で突っ立っている子供たちに外へ行くようにと、手で合図するのがやっとだった。
「ね、同郷のよしみでお身内に教えてやりたいのさ。詳しく聞かせてくれないかい?」
 惇の妻が私の手を痛いほど強く握りしめながら農婦を見た。
「ようがす。お身内に伝えてくだされ。将軍は男だ、立派に戦ったとね」
 男はぼそぼそと語り出した。
 
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 酸棗もこのような感じの平野とおもわれる。
 写真は河南省延津県の東南、原陽県である。酸棗の写真は探せなかった。しかし、その周辺は土の色といい、畑の様子といいとてもよく似ていた。写真はグーグルマップ より。
 
 孟徳は曹洪の私兵一千とともに揚州に着いた。刺史陳温に掛け合って兵を募り、盧江郡では鎧武者二千を得た。孟徳たちは盧江郡から東へと進み、揚州の丹陽郡へと進んだ。丹陽では丹陽太守周昕(しゅうきん)の協力を得て数千人の兵を得た。
曹洪の兵とあわせて凡そ五千、一戦できる兵員である。そこで帰途につき、豫州は沛国の龍亢(りゅうこう。安徽省蚌埠市懐遠県龍亢鎮)まできたところで、揚州兵の大半が反乱したのだという。他国をさすらうのを嫌ったのかもしれない。夜陰に乗じて孟徳の天幕を焼いた。剣が舞い矢が雨のように降り注いだ。孟徳はひるまずに切り結び数十人を斬った。勢いに恐れをなして孟徳を取り囲んでいた揚州兵が散った。
 このとき、この農夫とその連れ合いは、ほうほうの体で逃げたらしい。
 
 続く。
明日は雑記の更新です。