丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二

         丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二
 
 曹洪から戦わぬ義旗の諸将の話を聞くと、揚州刺史陳温はあんぐりと口を開けたまま、ぽとりとその手から杯を取り落としてしまった。
 「なに、天下の義旗が董卓怖さに、面付き合わせて酔いしれては口だけ戦わせておるとな。男の風上にも置けぬ奴らだ。ええい! 董卓の首を晒して天下に謝罪してくれようぞ」
 刺史は眉をはねあげた。
「廬江の甲(よろい)武者二千をだそう」
「壮士(おとこ)じゃ。ああ、刺史は壮士じゃ。のう、孟徳兄貴よ、男が男に惚れる気持ちがわかるだろう? 干将莫邪の剣のごとき刺史殿の決断力、それがし、いつも明鏡に向かう心地がして胸が晴れやかになる」
 そういうが速いか洪は刺史の手をとって目を潤ませながらわが額に押し当てた。
 
 廬江で二千の精兵を閲兵した。
 「子廉(洪)よ、なかなかよいぞ。面付きがふてぶてしくて気に入った。じゃがのう、兵はやはり五千人がよい」
 孟徳ときたらまったく懲りない男だ。五千の兵士の兵糧はどうするのだ。それも食糧が豊かな揚州に頼るのか? 滎陽(けいよう)で数千の兵を失い衞慈を失ったばかりだというのに。懲りない男は孟徳だけではなかった。従弟(いとこ)の洪といい、夏侯惇といい、懲りるどころかまたもや一戦を目論んでいる。董卓を伐つ。義兵を興したからには命がけで初心忘るべからず貫くことしか念頭にない。愚直なまでにおのが夢を追うのだ。
 「五千か? ふーむ」
 洪は唸った。
「五千はこの兵の二倍半じゃ。ならば行軍の鼓は四方に鳴り響く。攻め太鼓も一際迫力を増す。城攻めの機械も楽々と運べるぞ。ときの声も腹の底にずしりと響くというものじゃ……」
 孟徳は唆すように洪の耳元で囁いた。
「よし。宛陵じゃ。宛陵に行こう」
 洪は拳を天に突き上げた。
「子廉(洪)よ、宛陵は丹陽郡の治所じゃねぇか。あの江水を渡った東だぞ」
 孟徳がぐいと身をのりだし、洪の顔をのぞき込んだ。
「そうだよ」
「丹陽太守はどんな男だ」
「太守の周盺(しゅうきん)は侠気(おとこぎ)がある。しかも揚州は呉郡の孫堅が義兵を興し、袁術のもとでめざましい働きをしておる。義兵に加わりたい若い者はごろごろしているさ」
「ふむ、なるほど孫堅か……」
 孟徳はため息をついた。
 博労の李から孫堅の活躍ぶりは聞かされていたが、実際に揚州を歩き回ってみると、彼がいかにもてはやされているかを思い知らされる。学問ができるわけではない。孫武の子孫だというふれこみだが、さして家柄がよいわけでもない。腕っ節と度胸でのし上がった成り上がり者である。天下太平ならば、ただの乱暴者で牢獄に繋がれていたかもしれない。なのに孟徳は孫堅という見たこともない男に妬ましさを覚えた。
 
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  写真は漢の揚州刺史の治所が置かれた寿春城
  現、安徽省六安市寿県
 
 陳揚州殿が甲武者を貸し与えたと知ると、丹陽太守は気前よく二千の兵を貸し与えた。ざっと四千である。募兵のため孟徳と洪は二手に分かれ、豫州の龍亢で落ち合うことにした。
 
 揚州から豫州の沛国に入ったときのことである。
 「曹将軍よ。われらはどうして西へ行軍しないのか?」
 揚州兵の指揮官は孟徳と馬首を並べて大声で問うた。
「西へ行く必要があるのかね」
 問いの意図が読めず、孟徳は指揮官の顔を真っ直ぐに見返した。
「わたくしは行くところ敵なしの孫文臺将軍に合流するものとばかり思っていた」
「……わしは孫文臺よりももっと偉い、義兵の盟主にして最高指揮官である袁本初(紹)の本陣に行く。従って北へ向かっておるぞ」
 孟徳の言葉に指揮官の表情が硬くなった。孟徳は気分を害した。敗軍の将である孟徳の自尊心が大いに傷ついた。
 
注*龍亢(りゅうこう) 現、安徽省蚌埠(ほうふ)市懐遠県龍亢鎮
注*廬江(ろこう)郡  治所は現、安徽省桐城市付近
注*宛陵(えんりょう)後漢の揚州、丹陽郡の治所。現、安徽省宣城市
 
続く。続きはあさってぐらいです。
 
※写真はグーグルマップから引用させていただきました。