丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十三

           丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十三
 
 野営の篝火が赤々と燃えている。耳を澄ますと狼の遠吠えが聞こえた。幕舎を背にした夏侯淳が、節をつけて詩経の一節を唱えると、子脩や一族の少年たちが唱和した。繕い物をしながら卞娘も澄んだ声を張り上げた。
 
 旅は辛いはずだが卞娘は萎れるどころか、日ごとに生き生きとして美しさを増してくる。どこか普通じゃない女だ。
 「次郎のおばさんは並の女性(にょしょう)じゃありませんね。やはり一風変わっておいでかのう?」
 無遠慮な子脩の問いに、卞娘は鳩のように喉の奥で声を転がすように笑った。
「あら。どこが変わっていまして?」
「どこがと申しますと……女性は旅を億劫がるものらしい。でも、次郎のおばさんは楽しそうに歌を歌っておいでだもの。顔だって爽やかだ」
「私のような女は旅が性に合っていますの。誰に気兼ねすることもいりませぬもの」
「私の母はそんなに怖い人ですか?」
「いいえ。ご正室は酷い人ではございません。私の身の上がそうさせますのよ、お仕えしなければなりませぬから」
「おばさんは心構えが立派だと母が褒めていた」
 横あいから曹休が口をはさむ。
 
 卞娘は上機嫌だった。
 旅の開放感はなんとも心地よい。妻であることは間違いないが、行く先々で孟徳の正妻扱いを受けるのがうれしい。幸いなことに人もうらやむ健やかな体に恵まれていたので、旅は苦痛ではなかった。
 『命知らず』が欲しいと、孟徳が義兵を募って巡ったのは古に楚と呼ばれた地方である。楚の国は秦に滅ぼされたが、『秦を滅ぼす者は楚だ』と言い伝えられてきた。楚の国の男は気質が荒くて身軽で勇敢だと言われた。楚の国の者はたとえ戸数(いえかず)が三戸になろうが復讐すると言われた。そして秦はやがて楚の国の武将の子孫である項羽に滅ぼされたのだ。厳密に言うと項羽は秦を滅ぼした功労者の一人である、が。
 項籍が西楚の覇王と名乗ったのは、彼が秦の都、咸陽(かんよう)をむざむざ捨てて、故郷である彭城(ほうじょう)に都をおいたことによる。古くは彭城を西楚と名付けたいう。ちなみに江陵は南楚、呉は東楚と名付けられていた。
 一徹というか執念深いというか、楚人の気質は伍子胥を輩出した。口にすれば笑われそうで言わなかったが、孟徳は彼のような人材を求めて徘徊したわけである。
 沛国を通過したとき『牛』なる怪力漢にであった。剛胆で何ともいえぬ気迫にみちた面構えが気に入った。のちに『牛』は孟徳の懐刀となる。
 西楚と漢の命運を決した垓下(がいか)の古戦場を通ったときの卞娘は、神経が高ぶったのか、まるで「虞姫」が乗り移ったように涙を流して歌い舞った。
 その虞姫の墓は垓下から小半日も離れた辺鄙な集落にあるが、いそいそと墓まで出向くことになった。辺鄙な集落で義兵などとんでもないことだが、それぞれが様々な思いでほこりっぽい小道をたどった。
 「のう、物知りの文烈殿」
 道みち、卞娘の兄が曹休に尋ねた。
 
 
 
 続く