丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十六

          丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十六
 
  「言うことを聞くなら、俺が守ってやる」
 大胆にも休はそう言ってのける。
 いくらなんでもそりゃ大言壮語というものだ、子脩はただただ呆れるばかりだ。ここは見渡すかぎり平らな土地が連なる平原である。淮水に注ぐ無数の川が豊かな土地を潤す。五穀の実り豊かなこの土地へ、蝗(いなご)のように賊が群がる。
 「ただの賊じゃない、黄巾だぞ」
 思わず子脩はつぶやいていた。
「おうさ。刺史の役所から十日ほどの旅程だぞ、なのに黄巾が幅をきかせる」
 大言壮語を忘れたかのように休は舌打ちをした。
「やつらの狙いは輜重と女子供だ。物と奴隷がほしいのさ」
 子脩の言葉に女たちがざわめいた。
「騒ぐでありませぬぞ」
 なんとも威厳のある声が響いた。
「あっ、おふくろ様」
 休の声が上ずった。
 おふくろ様にはかなわねぇと子脩は声を殺して笑った。
「気になるゆえ、そなたの後を追った。ここには壕も土塁もない、身を隠す山一つないではないか? 本陣へ行くがよい。兵士はこのうえもなき砦、兵士に勝る砦はない」
方陣じゃ! 女は子供を真ん中にして六列に並べ。その回りを男たちが囲んで進め」
 休が叫んだ。子脩やおふくろ様たちはかけずり回って陣を整えた。
 
 夏侯惇は騎馬兵を率いて黄巾の賊を蹴散らしにかかった。賊のまっただ中に馬を乗り入れ草を刈るように長矛で賊を切り倒す。倒したはずがまんまと身をかわされた。
 「噂に聞いたが、こやつらやはり賊になって久しいわい」
 思わず惇は舌打ちした。
「食らいやがれ」
 賊が土塊(つちくれ)を投げた。惇の顔には当たらなかったが、てつぶしを食らった馬が暴れて淳を振り落とした。それっと四、五人の賊が淳に群がる。農夫あがりの黄巾は烏合の衆だった。蝗のように集まって行く先々で食らいつくしふくれあがってい行ったが、官軍の熟練した戦法に屈服した。およそ十年の間にかれらは百戦錬磨の兵士に育った。
「ばっかも~ん。来い」
 痛さもなんのその、惇は地べたを転がり半身を起こすと怒鳴った。剣を抜いて賊を睨みつけたが、賊はじりじりと包囲の輪を縮めてくる。賊の剣は血祭りにあげた兵士の血糊が、燃える幕舎の炎(ほむら)を映して禍々しく光っていた。がつ。ちゃりん。惇の剣と賊の剣がぶつかった。そのとき、惇は背後に殺気を感じた。あっ、いかん。その瞬間、ひゅっと鋭い音が背後で響き、短い呻き声がした。背後で人が崩れる音がした。
「あっはっは。あっはっは」
 突然、惇が高笑いした。度肝を抜かれて賊が鼻白む。
「おい、恐ろしくて気が触れたか?」
 賊が冷笑した。
「怖がる? おまえら、死ぬぞ」
「なに?」
「見えぬか? 袋の鼠だのう。おまえら囲まれたぞ」
「なに?」
 剣を振りかざしていたいた男はあたりを見回すとあわてて走った。円陣の陣立てが整わないうちに脱出しなければ、まさに袋の鼠だ。
 ひゆっ。ひゆっ。横殴りの雨のように矢は彼らを追った。
「夏侯殿、大丈夫か」
 騎馬兵が惇をのぞき込んでいる。
「かたじけない。なにこれしき」
 すくっと立ち上がったが、片方の踝が痛んで歩けない。今更ながら冷や汗がどっと吹き出した。
 後で知ったが、麦の収穫を狙ってこのあたりを荒らしていた黄巾は、沛国の『牛』と渾名された男が守る要塞を攻めていたが抜くことが出来なかった。退けば追ってくる。攻めると要塞にこもる。付近の住民は『牛』のもとに結集して黄巾から身を守っていた。黄巾はそのために小隊に分かれて略奪していた。そうでなければもっと被害を被ったはずだ。
 
 賊は退散したが孟徳は苦い顔である。
 「露営じゃぞ。不寝(ねず)の番はどうした? 怠った揚州の奴ら、軍法で断罪せにゃならん」
 夏侯淳は息巻いた。
「やはりそう思うか?」
 孟徳はここぞとばかり語気荒く淳ににじり寄った。
「借り物の兵士といえども軍には規律があろう。揚州刺史の府寺(やくしょ)から十日行程の距離じゃ。早馬なら一昼夜、無様なことこの上もない」
 揚州兵に聞かせたくてうずうずしていたから、淳の声は当然のことながら必要以上に大きい。
「うむ、もっともである。あい、わかった。龍坑で子廉(曹洪の字)と合流したら軍法会議だ。子廉の顔も立てねばならぬ」
 沈痛な面持ちで孟徳はうなずいた。
 
 とりあえず黄巾の一味の女どもを引きずり込んだ兵士たちを、みせしめに耐罪(たいざい)に処した。軽罪に処したのは「恩義を感じて手柄の一つも立ててくれ」、それが狙いだった。だが、一様に頭髪を剃られて頬ひげだけのこした異様な顔は人々のあざけりを誘ったし、滑稽でもあった。それが血の気が多い揚州気質には耐え難い屈辱であったことは否めない。古風な軽罪に処した意図もくまず、彼らは屈辱を憎悪へと育んでいった。龍坑(りゅうこう)に着けば軍法にあてて斬られるという噂が流れた。
 
 孟徳は孟徳らしくなかった。借りてきた兵とはいえ遠慮などいらぬ。よそよそしい心の垣など取り払って、将と兵卒は信頼で結ばれなければなるまい。命を預かるのだ、命を預けるのだ。将は漢(おとこ)を誑(たら)し込まねばならぬ。このお方のためなら死んでもよいと、一途に思いこませるのだ。
 後々の孟徳なら、臭い芝居の一つや二つ、鉄面皮でやってのけたはず。このときの孟徳は、風光明媚な揚州が放つ『気』に呑まれてしまったとしか言えない。孟徳は敗軍の将であり、知名度は田舎の名士程度、権勢を振るった宦官の家の子といっは方が話が通ずる。揚州では孫堅が人気を集めていた。孫武の子孫と称する孫堅は、さもありなんと思いこませるほど武勇に優れ、機略に恵まれている。めったやたらと兵糧を略奪し、己の任務を遂行するためなら信義はどこへやら、いともたやすく人を殺す孫堅の流儀が、なんの抵抗もなくもてはやされるのだ。
 「孫堅孫堅、どこへいっても孫堅なのか……田舎臭い無法者がのう」
 憮然として揚州を後にしたのである。
 人一倍耳聡い孟徳だ。兵士たちの間で流れる噂など知っていた。しかし、孟徳はそれを否定も肯定もしなかった。日頃からの意表をつく孟徳の言動から推し量ると「ふん。やつらを怖がらせてやれ」と、内心面白がっていたのかもしれない。
 
 
 続く。