丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 九十七

           丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 九十七
 
 
 「州牧が来なすったのだ。名士や長者どんは酒やご馳走を奮発してのう、街道で行列をねぎらった。張魯や母親も若くて別嬪の女弟子を連れて顔をだしよったぞ」
成都からはるばる綿竹にかい?」
「はるばるは当たってないぞ。近うはないが遠くもない。そうさなぁ、二日も歩けば綿竹じゃ」
「馬なら一日か?」
「うんにゃ。早馬なら半日もかからんわい」
「なんでまた成都を捨てて綿竹じゃ」
「劉益州が来る前に大乱が起きよった。成都の府寺(やくしょ)は死人(しびと)の山よ。臭いが消えん。夜はな、鬼が哭(な)きよる。気味が悪うて綿竹に州牧の府寺を置いたのじゃ」
「鬼(き)が哭くか……鬼もさぞや無念であろうよ」
 三明が目を潤ませた。
「腐った世の中じゃ。まともな世の中に誰もがあこがれる。永いこと言い伝えられてきたわい。真人(しんじん)が現れてこの世を救うとな」
光武帝が真人だといわれたが」
「うんにゃ。お若いの、今の腐りきった世を立て直すお方のことじゃ。ありがたいことに、真人はもうこの世に姿を現したらしいのじゃ。ふっふっふっ。わしらの教祖様こそが真人じゃ」
 老人は感極まったのか目頭を押さえた。
「真人でございますか……」
 三娘は遠い目をした。時の彼方を遡る目だ。
 
 ざわめきが聞こえる。黄色い布で額を包み、男たちは鎌や鋤(すき)を手に集まった。あのとき、まわりの大人たちは、「真人が現れた。大賢良師こそ真人じゃ」と、嬉々として語らった。おっかさんは、「三娘や、よく覚えておくのだよ。大賢良師は生まれた子が女だからといって殺すでないぞ、それは命を育む大地を損なうことだ、殺してはなりませぬぞと教えた。おまえが生きているのは太平道のおかげだよ」と、笑って三娘を抱きしめた。その人たちはもういない。真人はいずこにおられる。
 
 「似ていますな。五斗米道太平道によく似ておる」
州牧が来なすったのだ。名士や長者どんは酒やご馳走を奮発してのう、街道で行列をねぎらった。張魯や母親も若くて別嬪の女弟子を連れて顔をだしよったぞ」
成都からはるばる綿竹へかい?」
「近うはないが遠くもない。そうさなぁ、二日も歩けば綿竹じゃ」
「馬なら一日か?」
「早馬なら半日もかからん。劉益州が来る前に大乱があってのう、成都の府寺(やくしょ)は死人(しびと)の臭いが消えん。夜はな、人魂が飛んで鬼が哭(な)きよる。気味が悪いので綿竹に州牧の府寺を置いたのじゃ」
「鬼(き)が哭くか……鬼もさぞや無念であろうよ」
 三明が目を潤ませた。
「わしら、人としての扱いを受けなんだ。腐った世の中じゃ。教祖様は、わしらを救うために戦ったのじゃよ。真人が現れてこの世を救うといわれておるが、わしらの教祖様こそ真人じゃ」
 老人は目頭を押さえた。
「真人でございますか」
 三娘は遠い目をした。
 あのとき、まわりの大人たちは、「真人が現れた。大賢良師は真人じゃ」と、嬉々として語らった。その人たちはもういない。
 
「似ていますな。五斗米道太平道によく似ておる」
州牧が来なすったのだ。名士や長者どんは酒やご馳走を奮発してのう、街道で行列をねぎらった。張魯や母親も若くて別嬪の女弟子を連れて顔をだしよったぞ」
成都からはるばる綿竹へかい?」
「近うはないが遠くもない。そうさなぁ、二日も歩けば綿竹じゃ」
「馬なら一日か?」
「早馬なら半日もかからん。劉益州が来る前に大乱があってのう、成都の府寺(やくしょ)は死人(しびと)の臭いが消えん。夜はな、人魂が飛んで鬼が哭(な)きよる。気味が悪いので綿竹に州牧の府寺を置いたのじゃ」
「鬼(き)が哭くか……鬼もさぞや無念であろうよ」
 三明が目を潤ませた。
「わしら、人としての扱いを受けなんだ。腐った世の中じゃ。教祖様は、わしらを救うために戦ったのじゃよ。真人が現れてこの世を救うといわれておるが、わしらの教祖様こそ真人じゃ」
 老人は目頭を押さえた。
「真人でございますか」
 三娘は遠い目をした。
 あのとき、まわりの大人たちは、「真人が現れた。大賢良師は真人じゃ」と、嬉々として語らった。その人たちはもういない。
 
「似ていますな。五斗米道太平道によく似ておる」
州牧が来なすったのだ。名士や長者どんは酒やご馳走を奮発してのう、街道で行列をねぎらった。張魯や母親も若くて別嬪の女弟子を連れて顔をだしよったぞ」
成都からはるばる綿竹へかい?」
「近うはないが遠くもない。そうさなぁ、二日も歩けば綿竹じゃ」
「馬なら一日か?」
「早馬なら半日もかからん。劉益州が来る前に大乱があってのう、成都の府寺(やくしょ)は死人(しびと)の臭いが消えん。夜はな、人魂が飛んで鬼が哭(な)きよる。気味が悪いので綿竹に州牧の府寺を置いたのじゃ」
「鬼(き)が哭くか……鬼もさぞや無念であろうよ」
 三明が目を潤ませた。
「わしら、人としての扱いを受けなんだ。腐った世の中じゃ。教祖様は、わしらを救うために戦ったのじゃよ。真人が現れてこの世を救うといわれておるが、わしらの教祖様こそ真人じゃ」
 老人は目頭を押さえた。
「真人でございますか」
 三娘は遠い目をした。
 あのとき、まわりの大人たちは、「真人が現れた。大賢良師は真人じゃ」と、嬉々として語らった。その人たちはもういない。
 
「似ていますな。五斗米道太平道によく似ておる」
 三明がつぶやいた。
「おや、あんたは太平道をよう知っとる。信徒かい?」
「……」
「隠さずともええ。ここは益州でねぇか。だれがあんたを役人につきだすのかね。漢人も山奥に住む巴人もみんな五斗米道の信徒じゃて」
 老人はおかしそうに笑った。
「ふーむ。太平道と違うところは病が癒えると五斗の米を納めることと、無料の宿と食い物を提供してくれる義舎があることだな」
 三明はつぶやいた。
 
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   漢中市褒谷道西門
 
 張脩が広めた道教は、太平道に民間に流布していた俗信や呪いを取り入れ、呪いに重点を置いていた。といっても鬼吏や祭酒を置き、老子が書き残した五千文を習わせていた。信徒は養生の術から編み出された護身術や武術の鍛錬に励んだから、いざの時は頼もしい軍兵である。

 すでに光和年間(178~183)には張脩は漢中(陝西省漢中市)で布教していたから、漢中では張魯の天師道よりも民の心を掴んでいた。
 そして霊帝の中平元年(184)に黄巾の乱が起こると張脩も反乱した。黄巾の乱は平定されたが、張脩とその教団は生き延びた。益州の刺史があまりも評判の悪い男だったから、民の支持を得た教団は掃討されなかったのだろう。 
 中平五年(188)、劉焉が益州に入った。この老人が悔しがったように張魯とその母親が劉焉に取り入り、籠絡(ろうらく)してしまった。
 張脩の弟子たちは武術に長け、有る意味ではまるで張脩の私兵である。利用しない手はない。劉焉は張脩を別部司馬に任命した。張魯の母親に骨抜きされたと思いきや均衡をとるように、張魯の教団の弟子たちにも目をつけ、魯を督義司馬に命じ、漢中に送り込んだ。
 
 漢中は四方を険しい山に囲まれた四塞の地である。外からは攻めにくく、守りには圧倒的な力を発揮する。まわりをとりかこむ山地は冬の寒さから漢中をまもり気候は温暖だ。麦は年に二回も収穫できるという豊かな土地である。東は長安へ、西は涼州へとぬける街道の要にあり、南は蜀の地にはいる街道が通じている。
 漢中は漢の高祖劉邦漢帝国の礎を築いた地である。漢という国名の起こりは劉邦が漢中王になったことに由来している。
 
 「漢中はよいところだそうな。一度見てみたい」
 三明が真顔で三娘を見た。
「よしなせぇ。漢中は戦じゃ。物騒な所へは行っちゃならん」
 老人はかぶりをふった。
「戦か?」
「戦でさぁ。漢中太守の蘇固を討てとの命令でのう」
 老人の身内が出征しているか、老人はため息をついた。
 
 漢中太守の蘇固は、この要塞の地で独自の勢力を築いていた。それが劉焉にとって目障りだったのだ。かくもすばらしい土地を蘇固に掌握され、劉焉は益州という壺の中に封じ込められてしまったのだ。劉焉が蜀の地で天下をとるには漢中を掌握しなければならない。そこで劉焉は、「漢中太守蘇固を討て」と命じた。
 「しかし、州牧は……」
 三明は何か言いかけて口ごもった。
「まあ、兄さんたら」
 三娘が袖で口を押さえて笑う。
 州牧の悪口など決して口にしてはいけない。が、なんと抜け目がない男ではないかと言いたかったに違いない。
 
つづく
 
写真はグーグルマップより転載