陽平関と張魯城

              陽平関と張魯
 「陽平関の関城の西北隅は濜水(しんすい)を挟んで張魯城と対峙していた」と
清朝の地誌『方輿紀要簡覧』巻三十四に記載されている。
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地図の赤い囲みがおよその古陽平関城の遺趾(陝西省漢中市勉県)
 張魯は黄金谷に城を築いたとある。地図をあたっても黄金谷はさがせなかった。
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古陽平関関城
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夏侯淵黄忠に討ち取られた所


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上の航空写真の赤いバルーンは、黄忠曹操の関中方面総司令官である夏侯淵
を討ち取った所だそうだ。
下の写真は諸葛亮が木牛流馬を作ったという場所に記念として作られた定軍鼎。場所は勉県定軍山鎮。
 『方輿紀要簡覧』巻三十四によれば「蜀漢の建興九年、丞相の諸葛亮祁山(きざん)を囲む。建興十年、黄沙で農を勧め、木牛流馬をこの地で作る。今(清朝)の黄沙桟道をぬけてここに至ってはじめて険を出、平に就く(険しい山地からようやく平坦な土地にでた)」と、ある。
 漢水の北岸に黄沙鎮というのがあるがこれがそうだろうか?

写真はすべてGoogleマップから転載いたしました。