恨みのはらし方

          恨みのはらし方
 
 

 呉興(江蘇省湖州市付近)に袁乞という者がいた。その妻は病床にあった。今際(いまわ)の際に、乞の手をとり「わたしが死んだらあなた、後添えをもらうおつもり?」と、尋ねた。
 妻の目は、「わたしはあなたにお仕えして儚くなりますのよ。なのに殿方ときたら情け薄く、すぐに新しい妻を迎えるわ。蜜のような甘い言葉もむなしい。あなただってきっとすぐに、若くてきれいな後添えを迎えるのだわ」と、訴えていた。
 年若くして黄泉路をたどる妻があわれで乞は、「何を言う。そんなことできるわけがない。後添えなどとんでもない」」と、きっぱりと断言した。「きっとよ」と、妻はさびしく笑った。 まもなく、妻は身罷った。
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                  江蘇省湖州市 太湖の南辺にある市で蘇州に近い
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江蘇省太湖
 
 のちに乞は後妻を迎えた。すると白昼に亡妻が現れた。「妻を娶らぬとわたしに誓ったのに、どうして約束を破ったの?」と、亡妻は乞をなじると刀で乞の一物を割いた。
 命を落とさなかったものの、乞は男として行うべき道をとこしえに断たれてしまったそうな。
 
『太平広記 鬼七 袁乞』より

 これは六朝時代の宋代に劉敬叔が著した『異苑』から採集したものである。呉興郡がおかれたのは三国呉末であるので、袁乞なる者は呉末から東晋あるいは宋時代の人であろう。原文は非常に簡潔で、当時の事情をしる者たちには理解できるが、
時代の風潮や習慣からはるか離れた現代の異国では、意訳して補ってやらないとわからないと思ったので、意訳しました。
 袁乞が後添えをもらったのは後継ぎを残さないことは大不孝という儒教の教えがあったからだろう。だから亡妻は乞の家を断ったにも等しい。

 阿部定とは多少意味合いが違いますが、当時としては猟奇的も猟奇的な大事件だったことでしょうね。 
 
 写真はすべてグーグルマップから拝借しました。