蘇った屍

              蘇った屍

博陵の崔咸は若いころから心静かに思索することを好んだ。相州(治所は河北省安陽市)に居を構えたが、邸の園林に書斎をしつらえ思索に明けくれた。
 
雷雨の夜だった。落雷の音がたびたび天地を揺るがせた。崔咸は「雷神の暴れかたは豪放じゃのう」と、書斎の戸をあけて外を眺めていた。稲妻が走った。青白い光が垣のそばに立つ十六、七歳の女を照らし出した。おやっと、咸はわが目を疑った。ついで稲妻は、垣を乗り越える女を照らしだした。そして、こちらに向かって走ってくる女の青白い姿が浮かび上がった。
太平とはいえ、夜ふけに女がひとり歩きするのは虎口におもむくようなものだ。危険を冒してまで……まてよ、こりゃ事情がありそうだ、人買いから逃げてきたのかもしれぬ
 
咸はあわてて女を迎えに行くと抱きかかえて部屋に運んだ。
「びしょぬれじゃないか。これ、女。そのほう、どこからきたのだね?」
 咸が問うた。
「……」
「なぜ答えぬ」
「……」
 女は押し黙ったまま返事をしない。
「追われているのか? そちは主家から逃げてきた奴隷か?」
「……」
「安心しろ。かくまってやろうじゃないか」
咸は侠気(おとこぎ)をだした。男と女が同じ部屋にいるのだ、眠るわけにはいかない、あらぬ疑いをかけられては癪だ。咸は眠気をこらえた。やがて雷(いかずち)は遠のき、雨はいつの間にか止んでいた。夜も明けようとした時だ。ふと、女を見ると、女は身じろぎ一つしないばかりか寝息すらたてない。うん? 咸は女の顔を覗き込んだ。
「おい、女。どうした?」
「……」
おい、女。起きろ」
 咸が女をゆさぶると女はどさっと床に倒れこんだ。
「し、し、死んでいる」
 驚くやら怖いやら、咸は歯の根も合わぬほど震えた。とはいえ、もともと分別のある男だ。このことを家人に秘密にした。
すっかり夜が明けると村里に出かけていき、行方知れずの娘がいる家を探そうとした。村の道をしばらく歩いていると、向こうから七、八人のいずれも喪服を着た男女の奴隷が、なにやら話しながらこちらへやってきた。どうやら人を探しているようだ。
「おーい。まだ、みつからないか?」
「ああ。
「なんてこった」
「そうさ、死んでさえ亡骸が消えてしまう話を聞くぜ。まして生き返ったとあっちゃどこへ行ったものやら」
「ほんとに困ったものだ」
 奴隷たちは互いにぼやきながら行きすぎる。ぴんときた咸は奴隷たちを追いかけた。
「おまえたち、何かあったのかい?」
 咸が問うた。
「……郎君(わかさま)は、なぜわしらを追いかけてきて尋ねなさるのかな?」
 一番年かさの奴隷が答えた。
「いや、おまえたち、ただならぬ様子じゃないか。さあ、話せ、聞きたいのじゃ」
 崔咸が食い下がった。
「お耳を汚すのもはばかりますがのう。奇妙なことでしてな。わが主の末のお嬢様が亡くなったのは三日前の事でございますが……」
 年かさの奴隷が話し出した。
 
その奴隷が話した。
お嬢様は三日前になくなり、昨夜は納棺の日だった。棺に納めようとしたら雷鳴がとどろいた。するとお嬢様の屍がむっくり起き上がり、どこへともなく立ち去った。そこで皆で捜し回っていたのである。
咸はお嬢様の人相風体を問うた。奴隷が語った人相風体は、まさしく昨夜の女そのものだ。咸は昨夜のことを話し、奴隷たちを伴って咸の家に戻った。
やはりその屍は昨夜、行方不明になったお嬢様である。衣の裾や履(くつ)は昨夜の雨で泥だらけだ。
女の家では珍しいことだと不思議がった。亡骸は女の家に戻ることになったが、どういうわけか急に棺が重くなって運び出せない。崔咸が酒をそなえて「さあ、行きなさい」と、祈った。すると棺は軽くなり咸の邸から運び出すことができた。
この出来事は唐の天宝元年(唐玄宗の年号 BC742)六月のことである。


太平広記鬼十八 崔咸より

原文はとてもシンプルで現代では意味が通じにくいので、
とにかく補うことが多くて、意訳になりました。フランケンシュタインの中国版ってところか、キョンシーみたいです。