愛しい人よ、わが想い永久に届けん

    愛しい人よ、わが想い永久に届けん
 
陳の太子舎人である徐徳言の妻は後主(陳叔宝)の妹で封は楽昌公主である。公主の才色は世に冠絶していた。徳言が太子舎人になったころは陳の国力は衰えていて、南北統一をはかる北方の隋が江南の陳を攻めていたときである。
ただではすむまいと徳言は恐れた。
「君の才気と容貌では、国が滅びると必ず隋の権豪の家に納まるだろう。もし(儻、とう、もし、すぐれる、いやしくもなど) 君がまだ私のことを想っていて(情縁 男女の契り)私に会いたいと願っているなら、これをそのしるしとしよう」
徳言は妻の前で鏡を二つに割った。その一つを公主に渡し、残る一つを徳言が手にした。
「君、約束だよ。後日……、正月の満月の日に都の市場で必ずこの鏡を売るのだよ。私が無事なら、その日に市場に出かけて鏡売りを捜すからね」
 徳言の言葉に公主はこくりと頷いた。
陳の禎明三(589)年、一月、隋軍に陳は降伏した。このとき皇居には陳の皇族や王公など百余人がいたがあいついで隋に降った。
その年の三月己巳(六日)、後主や皇族、王公たちは建康(今の南京市)から長安にむけて旅立った。
 
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      江蘇省南京市 紫金山
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       南京市玄武湖
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          南京市秦淮河
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 南京市 諸葛亮駐馬陂(しょかつりょうちゅうばは)
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   明代の城壁 南京市
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         南京城城壁 中山門
 
はたして徳言の妻は隋の越公楊素の側室になり、なみなみならぬ寵愛をこうむった。
徳言は流離辛苦のはてかろうじて長安にたどりついた。ついに正月の満月の日に市を訪ねた。するとどこかの邸の下僕がたいそうな高値で半分に割った鏡を売っていた。「こんながらくたに法外な値段をつけて」と、まわりの人々は馬鹿馬鹿しくて大笑いしている。徳言はすぐにその男をつれて彼の住まいに戻ると食事をだしてもてなし、つぶさに事情を話すと自分がもっていた鏡の半分と合わせた。鏡はもとのまるい円になった。
そこで詩を書いた。
 
鏡与人俱去    鏡と人倶に去り
鏡帰人不帰    鏡帰るも人は帰らず
無復嫦娥影    復た無し嫦娥(こうが。仙女の名。公主をさしている)の影
空留名月輝    空しく留める名月の輝き
 
 再会を約束して私たちは鏡を半分に割って持った。いま鏡は合わさって一つになったけれど、あなたと一緒にはなれないのですね。ひとつに合わさった鏡はもはや恋しいあなたを写すことはなく、空しく名月の冴えた輝きを写すばかりです。
 
除德言はせつない胸の内を詩にたくした。鏡に添えられたこの詩をみて
 陳氏(公主のこと)は泣きくずれた。もはや食事も喉にとおらない。
 楊素はこれを知ると陳氏の境遇を悼み悲しみ、深く心を動かされた。そこで德言を召し出して陳氏を徳言に返し、旅費に困らないようにと手厚い贈り物をした。これを伝え聞いた者たちはみな、楊素の心意気と陳氏と德言の心根に感嘆したものである。そこで德言と陳氏とともにみな集まって酒盛りをして、陳氏に詩を作らせた。陳氏は詩った。
 
 今日何遷次   今日何ぞ遷次(ろうばい)せん
新官対旧官   新官旧官に対す
笑啼倶不敢   笑啼倶に敢えてせず
方験作人難   方(まさ)に験(むくい)()さんとす、人の難(うれい)         に
 
 今日はどうしてあわてふためかないでいられましょうか
新しい官(やくにん)と旧(ふる)い官(やくにん)が引き継ぎのために対面す るように、
わたしも古なじみの対(つれあい)に対面しました。
笑ったり啼()いたりは倶に敢えていたしませんが、今まさにわたしの難(うれい)は験(むく)われました。
 
 ついに陳氏は德言と江南に帰り、ともに年老いて生涯を終えた。
 
                  太平広記 気義一 楊素より
 
 訳しているうちに、この話が『破鏡重円』あるいは『破鏡合一』いう故事だと知った。人口に膾炙している故事ゆえにためらったが、すでに半ば以上を訳していたので披露することにしました。
 
※「正月望」とあるのを
正月の満月の日と訳しました。十五日としてもよかったのですが、康煕字典が引用した《釈名》に「望」は月が満ちたときの名称である。大の月では十六日、小の月は十五日とありました。正月は大の月ですが、望月が十六日では少々感覚のずれを覚えますのであえて満月の日と訳しました。
 
 拙い訳ですが悪しからず。
 写真はすべてグーグルマップからお借りいたしました。