狐に翻弄された道士

       狐に翻弄された道士
 
 唐の開元(713年~741年)中のことである。
焦練師という修道者がいた。彼を慕い集まる人ははなはだ多かった。「阿胡」と名乗る黄色の裙(もすそ)をつけた婦人もその一人だった。彼女は焦のもとで道術を学び、三年たつとすっかり焦の術を習得してしまった。そこで焦に別れを告げた。焦はこれを懸命に止めた。
 阿胡は、「わたしは野狐だ。術を学びたいから来たまでだ。今や学びたい術などあるものか。だからここにいるわけにはいかないよ」と、言った。
 野狐に術を教えてしまったのか。焦は術を使って阿胡を拘留しようと、術を駆使した。どっこい、阿胡もまた術で応酬する。どうしても打ち負かすことができない。
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河南省登封市 嵩岳小室山蓮華峰
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河南省登封市 嵩岳太室山
 
焦は嵩岳の頂に壇をもうけて老君に祈って言った。「おのれは不才といえども道家の弟子であります。それが妖狐に侮られる始末、これでは恐らく道家の大道も隳(やぶ)れてしまいましよう」と。
焦の言葉も態度にも真心がこもっていた。その真心が通じたのか、祈るうちに壇の四隅から香煙が立ち上り、それは間もなく紫雲に変わった。紫雲の高さは数十丈もあり、仰げば雲の中に老君が立っている。焦は礼拝すると訴えた。「妖狐がすでに正法を学びました。まさしくこれを降す法を求めております」と。老君は雲の中から法を行った。すると雲の中から神王が現れて刀で狐を斬り殺した。焦は大喜びして祝った。そのときだった。突如として老君が雲の中から降りてきた。うやうやしくかしこまる焦のまえで老君は、なんとまあ黄色い裙(もすそ)の婦人に変化(へんげ)して去ってしまった。
太平広記 狐三 焦練師より
 
野狐(やこ)はもっとも位の低い狐とされます。
狐は五十歳になると婦人に化けることができ、百歳になれば美女に化けたり、神の使いになる。あるいは男に化して女人(にょにん)と交接できる。千里離れたところの出来事をよく知る能力がそなわる。よく人を惑わしたりたぶらかしたりする。人をして惑わし思考を失わせる。千歳になればすなわち天と通じて天狐になる。(太平広記 狐一 説狐より)
 天狐(てんこ)が最も上位の狐で、天狐ともなればその正体がばれたときの姿は毛が抜け落ちて瘡だらけの老狐と語られています。
 
唐初以来、人々の多くが狐神に仕えた。部屋の中で祀ってその御利益を乞うのである。人と狐神は飲食を共にした。一家が祀る狐神は一つではく、いくつも祀った。当時の諺に曰く、「狐魅なければ村成らず」と。(太平広記 狐一 狐神より)
 
なお、写真はすべてグーグルマップより借りました。