人間に化けて酒肆(さかや)に行った北斗七星
人間に化けて酒肆(さかや)に行った北斗七星
唐の太史、李淳風は新暦をしらべただした。
太陽が合朔し、まさに蝕既(しょくき。皆既食)が起きようとしている。
李淳風 百度百科より
李淳風 百度百科より
「もしも日食が起きなければ、卿はどのように償いをする所存か」
太宗は不興げにおおせられた。
「もしも日蝕が起きなければ、臣を処刑してくださいませ」
淳風は涼しい顔でこたえた。
蝕既の期日の刻限がきた。
「刑にそなえて汝を放そう。妻子に別れを告げて来るがよい」
帝は淳風におおせられた。
「まだ早うございます」と、淳風は日の影を刻んだ壁の印を指すと、「ここでございます。ここに日の影が来れば蝕がはじまります」と、断言した。
一同は日影が印のところまで来るのを待った。
日影は淳風が指し示した所まできた。すると日輪は欠け始め、淳風の言葉通りに光を失い闇に閉ざされた。
あるとき、李淳風と張率という者が時を同じくして太宗にはべった。暴風が南から吹いてきた。すると淳風は、「南五里にまさに哭する者がいる」と、占った。張は、「音楽を奏する者がいる」と、言った。
太宗は側近に確かめるように命じた。
側近が馬を走らせて行くと果たして葬送の列に遭遇した。この葬列は楽隊をともなっていた。
金光門は向かって左がわ上から二番目の門。利人市は唐代の西市で、都会市とあるのが唐代の東市
また、かって淳風は、「北斗七星が人に化けて明日、西市にやってきて酒を飲みます。待ち構えて捕まえましょう」と、奏上した。
太宗は人をやって窺(うか)がわせた。七人の婆羅門(ばらもん)僧が金光門より長安市中にはいり、そのまま東に進んで西市の酒肆(さかや)に入った。僧達は高楼に登ると一石の酒を注文した。椀に注いで酒を飲んだがすぐに酒が尽きた。そこでまた酒一石を追加した。
太宗の使者は高楼に登って婆羅門に、「天子のお召しですぞ。今すぐに婆羅門の方々は宮殿に参られよ」と、太宗の命令を伝えた。胡僧たちはたがいに顔をみあわせると笑いだし、「李淳風の小童(こわっぱ)、告げ口しよったな」と、言った。使者には、「この酒を飲みおえたらその方と一緒に行くとしよう」と、答えた。
婆羅門たちは酒を飲み終えると約束通りに高楼から降りた。使者は僧たちを先導するように先に立って降りた。下へおりて使者が振り返ると婆羅門たちの姿はなかった。してやられた! 使者がありのままに奏上すると、「異なことよ、のう」と、太宗は不思議に思われた。
ところで、婆羅門たちは酒代を払わずに消えたから肆(みせ)は大損である。僧たちが座っていた席の椀を片づけたとき、座席の下に二千銭がおかれていたのを見つけたという。
太平広記 方士一 『李淳風』より
唐の太宗李世民は唐を繁栄に導いた英明な帝王である。
注*合朔(がっさく)
日月があい会すること。毎月、陰暦一日の前後に起こる。
注*唐代の一里は559.8m
注*唐代の一斗は5.944リットルである。その十倍が一石であるから59.44リットルであ る。
七人で118.88リットルを飲み干したから、一人あたり16.98リットル強を 飲んだわ けである。日本酒の一升瓶は1.8リットル、ひとり9.4本強に相当する。恐るべき酒 量である。
注*唐の長安は東西9キロ、南北8キロの城壁に囲まれた城である。