北魏の『御苑』は万里の長城だった
2013年末、内蒙古自治区文物考古研究所長城資源調査プロジェクトグループが二年以上にわたって再調査した結果、驚くべき結論―内蒙古自治区文物保護単位である『北魏御苑遺址』はまさに漢代の長城であり、かつ「几」の字形に構築されていた―に達した。
『北魏の御苑はどこだ?』
格闘の実演
馬術実演。一人で二頭の馬を操る
落馬ではありません。馬を走らせながら拾い物をする実演
拾いました。さすが草原の民
ウランチャブ市九十九泉 水草豊かな高原である。
モンゴル包(パオ)の形をしたホテル
お疲れさま。ホテルの室内
九十九泉の日の出 風力発電の風車はいたるところにあります。
自治区文物考古研究所副所長の張文平研究員は語った。
「九十九泉は湖泊と呼ばれ、最も早い記載は『魏書』であり、武要北原と称され、数多くの湖があるので九十九泉とよばれた。灰騰梁の東に火山岩が分布している区域があり、石漠と呼ばれた。九十九泉の呼び名はそのまま『遼史』『元史』に継承された。
灰騰梁は卓資県にあり、察哈尓(チャハール)右翼后旗、察哈尓(チャハール)右翼中旗が交わるあたりにあり、陰山山脈中の大青山の東がわにあたり蒙古高原、黄土高原、河套平原、察哈尓(チャハール)丘陵の結合部に位置している。死火山の火口に風で運ばれた砂塵が堆積したあとに、雨水がたまり形成された数多くの小さな湖である。
注*烽燧(ほうすい)
まもなくわれわれは「太陽卜」という地方に到着したが、ただ路傍に明らかに道路くらべて3、4メートルの高さがある土の堆積をみた。もともとこの中にかつての北魏の御苑遺址があった。墻(かき)の長さは46.585千メートルにわたり、そのうちの墻そのものが現存する部分は43.955千メートルである。土の墻の長さは34.575千メートル、石の墻の長さは9.38千メートルである。墻の沿線およびその周辺には烽燧(ほうすい)46カ所、障城10カ所がある。
注*烽燧(ほうすい)
のろし台のこと。
注*障城
とりで。要塞のこと。
とても長い記事で、しかも漢字が多すぎますので何回かに分けて載せます。
拙い訳ですみません。
写真はすべてグーグルマップから拝借しました。