北魏の先祖が住んだ洞窟―嘎仙洞(かつせんどう)

     北魏の先祖が住んだ洞窟―嘎仙洞(かつせんどう)
 
嘎仙洞は内モンゴル自治区オロチョン(鄂倫春)自治旗の阿里河鎮の北約十キロ、大興安嶺の北側にあたる峰の頂の東端にある。現地の峰々は幾重にも重なり合い、樹木は天に届かんばかり繁茂し、松やカバノキが日を覆う。
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内モンゴル自治区フルンボイル市オロチョン自治旗 グーグルマップ
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嘎仙洞(かつせんどう)遠望
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嘎仙洞 天然の洞窟
 
洞窟は絶壁の上にあり、地表からおよそ五メートルの高さにある。洞窟の入り口は西南の方角に面していて、南北の長さは90メートル強、東西の広さは27メートルほど、高さは20メートルあまり、仙人洞の府(やくしょ)と伝えられてきた。洞内の西壁、洞窟の入り口から15メートルの所に北魏の太平真君四年(443)の摩崖石刻がある。
 
『魏書』によれば、『烏洛侯国、世祖の太平真君四年に来朝し、その国の西北に国家の先帝の旧墟あり、石室の南北九十歩、東西四十歩、高さ七十尺と称す』。北魏の太武帝拓跋燾(たくばつとう)は中書侍郎の李敞(りしょう)を派遣して祭祀し、ならびに祝文を室の壁に彫らせて戻った。
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祝文 この写真のみ百度百科より
 
現存の刻銘は201字、史籍に記載された祝文と大体合致する。北魏王朝が鮮卑拓跋部の発祥の地と承認した証拠である。洞内には豊富な遺物が堆積していて、拓跋鮮卑の早期の歴史研究に対し、重要な科学的価値がある。全国重点文物保護単位である。

 
  説明文は百度百科から抄訳いたしました。
地図、および写真は一部をのぞいてすべてグーグルマップを利用いたしました。