菩薩、捨て身の慈悲
菩薩、捨て身の慈悲
むかし、延州に女がおった。
歳は二十四、五歳、色白で滅多とない美貌だった。若い女のひとり歩きはあぶない。にもかかわらずひとりで都会をうろつくものだから、男たちは冷やかした。若者たちはみなこの女と遊んだ。なれなれしく枕を薦めても、この女は一度として拒んだことがなかった。
数年後に女は死んでしまった。州の人々は女の死をかなしみ、「まだ若いのに」と惜しんだ。天涯孤独の身だったので、みなで金をだしあって棺などの葬具を整えて葬式をだしてやり、道の傍らに埋葬した。
大暦中(唐の代宗の治世。766年~779年)のことである。ふらりと西域から胡僧がやってきた。あの女の墓を見ると、はっと顔色を変えた。
僧は墓の側に筵(むしろ)をしくと足を組んですわった。焼香しながら一心不乱に敬礼するのである。ついには、墓のまわりをぐるぐるまわって褒め称えたり感嘆したりする。
数日のあいだ、胡僧は墓に向かって礼拝しつづけた。それをみた人があきれたように胡僧に言った。
「これは、誰にでもにこにこ笑って身を任せた淫蕩な女の墓でございますよ。身よりも縁者もいないのでここに埋めたのです。和尚よ。なぜこのような淫蕩な女を敬いなさるのじゃ?」
すると胡僧はこう言った。
「檀越(だんおつ)にはわからないだろうよ。このお方は大聖だ。慈悲を喜捨なされて、ありとあらゆる世俗の欲にしたがわれなさった。このお方はまさしく鏁骨(さこつ)菩薩だ、順緣がすでに盡きて遷化されたが聖者である。信じられないのなら棺を開けてみるがよい」
写真は龍門石窟の仏像です。グーグルマップより
ええっ。あの淫婦が……。人々はどうにもこうにも合点がいかない。そこで墓をほりかえして棺(ひつぎ)を開けてみた。
おお、なんという光景だったろう。
女の骨は常人と違って、鉤(かぎ)のよう曲がり、ひとつひとつが皆結ばれている。まるで一本の鏁(くさり)のように骨と骨がつながっているではないか。
胡僧が言った通りだった。人々はこの奇跡に心うたれ、この女のために盛大な法要を営んでやり、仏塔を建立したのである。
注*延州
現在の陝西省延安市付近
延安は毛沢東の長征で有名ですね。
注*
檀越(だんおつ)
寺や僧に布施をする信徒のこと。在家の信徒。
ここでも胡僧に食べ物を布施したにちがいない。
注*
順縁(じゅんえん)
②親・子・孫というふうに老人、年長の者から順に死ぬこと。
鏁骨(さこつ)菩薩は人気があって、色々なバージョンがあります。
太平広記 釈証三 延州婦人Chinese Text Projectより拙訳
そのままの訳ではわかりづらいので意訳しました
この地は黄土層の堆積が著しいのでヤオトンが多いです。
ヤオトン式のホテルまであります。これはヤオトンのなかでも洒落ています。