僧になっていた徐敬業

        僧になっていた徐敬業



 唐の武則天の光宅元 (684)年、徐敬業が揚州(江蘇省)で乱を起こした。唐王朝を簒奪した武則天を討つための挙兵だった。則天は反乱軍を討ち、敬業の軍は敗退した。
 
ところで敬業は自分とそっくりな容貌の男を養っていて、とても可愛がっていた。敗れた敬業は、この養っていた男を生け捕って首を斬り、敬業の首だと欺いて逃亡してしまった。
 
敬業は大孤山に隠れた。
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江西省九江市鄱陽(はよう)湖 大孤山。鞋(くつ)のような形をしているので鞋山(かいざん)とも呼ばれる。

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江西省九江市鄱陽湖 大孤山(別名、鞋山)


彼に付き従った数十人とともに庵を結んで俗世の付き合いを絶つ。
敬業は剃髪して僧になった。付き従った者たちの多くが剃髪して僧になった。
天寶の初め(玄宗の年号742~756)、住括という法名を持つ九十余歳の老僧が、弟子とともに南岳の衡山寺を訪れて諸僧を訪問し、そのままこの寺にとどまった。
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湖南省衡陽市 衡山

一月あまりすると突然に諸僧を集めてその前で、殺人の罪科を懺悔したのだ。
僧たちはにわかに信じられない。
すると老僧は言った。
「汝らは徐敬業という男のことを聞いたことがないか?」
干支が一巡するほど昔の話だった。武則天に抗い、死者数万という反乱を起こしたが、部下に首を斬られて死んだはずだ。
一同はあっけにとられた。にわかに信じがたい。
老僧は続けた。
「徐敬業とはすなわち、このわしのことだよ。わしは兵敗れて大孤山に入り、修道に精勤した。今まさにわが命が尽きんとするのでこの寺にきたのだ。世人にわしはすでに第四果の悟りに達したことを知らしめようと、な」
そして老僧はみずからの死期を告げた。はたしてその期日がくると卒した。そこでこの老僧を衡山に葬ったのである。

太平広記 異僧五 徐敬業 Chinese Text Projectより拙訳

写真はすべてグーグルマップより拝借しました。

 
注*大孤山
  遼寧省吉林省にもあります。が、九十余歳の老僧の体力を考慮すると、五岳    中 、南岳といわれた衡山(湖南省衡陽市)にもっとも近いのは江西省鄱陽湖     の鞋山なので、江西省と推察しました。

注*四果(しか)
  仏教用語。輪廻から解脱、涅槃にはいるまでの悟り段階をいう。
  聖者の位に入った須陀洹(しゅだおん)『預流果(よるか)』
  天界と人間界とを往復する斯陀含(しだごん)『一来果(いちらいか)』
  流転することがなくなる阿那含(あなごん)『不還果(ふげんか)』
  完全な悟りをひらく阿羅漢(あらかん)『無学果(むがくか)』
  の四つの果をさす。

注*五岳
  東岳は泰山
  西岳は崋山
  北岳は恒山
  南岳は衡山(仏教道教の聖地である)
  中岳は嵩山

注*徐敬業の挙兵にさいして檄文を起草したのが唐代の高名な詩人、駱賓王で    す。