陰を鍛えた結果

          陰を鍛えた結果


仏教の五部持念の中に大輪呪という術がある。この呪術(まじない)は病を癒すことができるというふれこみだが、効かないことこのうえない。


しかし、この術は人の精魂を操った。突然に、みなめったやたらと走ったりする。ある者は屋根に登ったり、またある者は磁器の碗をかじったりした。村人たちの敬い仕えるさまは、まるで神聖なものに恭しく仕えるのとかわりなかった。この輩(やから)はこの術で広く金帛(きんぱく。金銭と絹)を得ていた。
陵州貴平県牛鞞村の民に周達という者がいて、この術を売っていた。
 
注*陵州貴平県、牛鞞 (ぎゅうひ)
  唐代から宋初では、現在の四川省眉山県の仁寿県の東北。(讀史方輿紀要 巻六十七。四川二より) 
  しかし、この讀史方輿紀要によれば貴平は県を廃され、この県に牛鞞村の名の記載はない。
  三聯書店(香港)有限公司の中国歴史地図集第五冊「隋・唐・五代十国時期」によれば
 隋の資陽郡に牛鞞県がある。
 唐では資州に牛鞞県がある。いずれも内江市の東北部にある。
  漢代に牛鞞県が唐代の『簡州』に置かれた。県名は牛鞞塩井にちなんでつけられたらしいといわれる。このあたりは塩井が大小いくつもあったと記されるから、経済的にゆたかな地方だった。
漢代の牛鞞県は四川省簡陽市の西の陽安城に治所を置いたとある。これでは隋の牛鞞とたいそうかけ離れている。
旧唐書をみたら、漢の牛鞞県と唐の牛鞞とは全く別のものであると書いてあった。ややこしいです。このためにどれだけ時間をかけたか……。
イメージ 4四川省内江市の沱江
                             写真はグーグルマップより。
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グーグルマップ 四川省内江市(赤い部分) グーグルマップより。
内江という名は、沱江に取り囲まれた土地だからいう。
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隋の資陽郡 牛鞞県赤く囲った所
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唐 資州に牛鞞県がある。
左隣の陵州の横の、赤い四角が貴平。
地図は唐の開元二十九年(741年)の行政区画。
隋、唐の地図は三聯書店(香港)有限公司の中国歴史地図集第五冊「隋・唐・五代十国時期」から。

時代によって行政区画もかわり、役所の所在地(治所)もかわるが、隋末、後周の盤石県の地をわけて牛鞞県をおいたという。隋末の牛鞞県の治所は今の四川省内江市の東北にあたる。

 さて、ある日、この周達が煮えたぎった油で自分の一物を煮て、仏の供養をしたいと言った。その日になると、これを見物しようと人垣ができた。  或るものは驚いたりまた、或るものは笑ったりした。初めは痛いのを忘れていたが、まもなく死んでしまった

中間僧の昭浦が言った。「朗州(今の湖南省常徳市一帯)に周大悲と称した僧がおって、この呪術をおこなったよ。ひとたび陰を鍛錬して斃れてしまうとは。ともに愚僧はこれを観たが、なんということだろう、姓氏まで同じでその結果も同じだとは」。
 
 けだし小人は仏道をもちいて天を欺き、天から与えられた形態を損ねて自らを罰する。その事件は同じだからこれを記録しておく。
 
注*中間僧(ちゅうげんそう)
   雑用をする身分の低い僧。中間法師ともいう。

太平広記 妖妄二 大輪呪 Chinese Text Projectより