越王勾踐の剣

            越王勾踐の剣       
 
 百度百科で剣のことを調べていたら、中国古代十大名剣というものがあることを知った。  

その一つに、
純鈞剣(じゅんきんけん)またの名を純鈎剣(じゅんこうけん)というのがある。 
この剣は尊貴無双剣(またとない貴重な剣)と評されていて、銅と錫の合金でできているという。
伝説によれば春秋戦国の越国の人、欧冶子(おうやし)が鋳たものとされる。
欧冶が丹精込めて鋳た五つの剣は、湛盧(たんろ)純鈞勝邪魚腸巨闕とされる
 

ところで
1965年、湖北省江陵の楚墓群を発掘調査していたときに、泥土にまみれた一振りの長剣がみつかった。鞘からすこし抜き出すと剣の上部に古篆で書かれた『越王勾踐自用剣』という文字が目に飛び込んできた。


鞘から剣を抜きはらうと、冴え冴えとした光が躍り出た。しかも毛一本ほどの錆も腐食もない。刃は薄く、切っ先は鋭利だ。20余枚の紙を重ねてすっと切れ目をいれてみると見事に切れた。この剣の全長は55.6、柄を除いた剣身の長さは45.6㎝、剣の幅は5㎝である。


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        伝説の純鈞剣 百度百科より。レプリカらしいよ。
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越王勾踐の剣 出土品 武漢博物館 百度百科より

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               勾踐の剣  古篆で越王自用剣と書いてある
               格の部分の飾りにターコイズと藍色の瑠璃の象嵌がある。
               瑠璃はガラスの意味もあるが、ラピスラズリをも意味する。
               時代的に、ラピスラズリと解釈した方がよいと思うのだが……百度百科より

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                   越王勾踐の剣 百度百科より




        剣首                   剣格
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      刃                  背           剣の切っ先を鋒(ほう)
 剣の赤い部分、つまり鞘に収まっている部分を剣身という                                 
剣身は黒色の菱形幾何学の黒っぽい花紋で覆われていて、剣格の正面と後面には裏表を分別するために藍色の瑠璃とターコイズ(緑松石)はめこんで美しく飾られている。


剣柄は絹糸ぐるぐる巻きに縛ってある。
剣首は外にむかって捲れあがったようなまるい箍(たが)になっており、内側(原文は内鋳。扁平な剣首の底辺をさしているらしい)には精細な十一筋の同心円の輪が鋳てある。
史書の記述と照らし合わせるとどうやらこの剣が伝説の純鈞剣らしいが、ただし慎重に研究者たちはそれを「勾踐の剣」と称している。この一大考古学的発見は全国にセンセーションを巻き起こした。
しかし、古剣の科学的研究報告書がもたらされるとさらに世間を驚かせるこ
とになった。もっとも研究員の注意を惹いたのは、「この柄は、古剣が二千年以上も地下に埋蔵されていたにもかかわらずどうしてさびていなかったのか、どうして当時のように冴え冴えとした光を四方に放つことができたのか、鋒が鋭利なままなのはなぜ?」ということだった。



≪制作加工のテクノロジー


越王勾踐の剣という古代の謎を解明しようと197712月、上海の复旦大学(ふくたんだいがく)静電加速器実験室の専門家たちと、中国科学院上海原子核研究所活化分析組及び北京鋼鉄学院≪中国冶金士史≫編纂組の学者たちが一方法として質子(プロトン)X蛍光非真空分析法で越王勾踐の剣を損なうことなく科学計測した。
剣身の青銅の合金配分比を正確にデータ分析した。
越王勾踐剣の主な成分は銅、錫(すず)、および少量のアルミニュウム、鉄、ニッケル、硫黄で組成された青銅合金である。剣身の黒色菱形花紋は硫化処理をほどこしてあつた。
剣刃の精巧な研磨技術の水準は現代の精密な研磨設備で造られた製品と同じように美しい仕上がりである。剣の各部位によって用途が一様でないため、部位によって銅と錫の比例も同じではない。
剣背は銅の含有が比較的多く、それが剣のしなやかさと強度を高めており折れたりしにくい。
そして勾踐剣の青銅合金は刃の部分では錫の含有比率が高く、硬度は大となりその結果、剣を非常に鋭利にした。
花紋のところは硫黄の含有率が高く、硫化銅になって錆や腐食を防ぎ花紋のあでやかさを保持する役目を果たしている。
 
このさらに一歩進んだ研究で分かったことは、越王勾踐剣が千年も錆びない原因は、剣身に一層のクロムを含む金属でメッキをほどこしてあることだ。専門家は知っている、クロムが一種の極めて耐腐食性の強い希有金属で、地球上の岩石中、クロムの含有量はとても少ない。取り出すことは容易ではない。ついでながらクロムは、一種の耐高温性のある金属で、この融解点は
1875℃である。
このほかに越王勾踐剣は出土したとき、ぴたりと収まる黒漆木製の鞘に入っていた。剣は鞘にまもられ、その鞘の中の酸素含有量がはなはだ少なかったこと、中性土壌の中だったこと、且つこの所が外界と隔絶していたこと、これらが錆を生じさせなかった重要な原因であった。
この越王剣はむろんその剣の形が制作され、材料の配合が調和したいずれも紛れもなく我が国の青銅の短兵器中、まれにみる珍品である。中華文明のいぜんの有る時期の大きな秘密が、2400年以上まえの謎が、現代の科学発明によってついに明かされたのであるが、われらは讃嘆を禁じえないと同時に、われらの偉大な先人の知恵に敬服せざるをえないのである。
 
百度百科「純鈞剣」より抄訳

注*短兵器
   白兵戦で使用される武器のこと。


注* 古篆の文字について
    『この話、ちょうど読んでいた司馬遼太郎の『街道を行く~中国・江南のみち』     「会稽山へ」に出て来ました。日本にも来たことがあるそうです。

    ちなみに、司馬によると文字は八文字で「越王鳩浅自作用剣」だそうです。実    際に、剣にあるのは八文字に見えるので百度が誤っていそうですね。』


    とのコメントを頂戴いたしました。ぜひとも参照のほどお願いいたします。