華山の道士

            崋山の道士

 崋山の道士、明思遠は道籙を勤め修めること三十余年、いつも人に『金水分形の法』、ならびに『閉気、存思』を教えていた。彼に師事するものは非常に衆(おお)かった。
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陝西省華山市渭南市 華山 写真はグーグルマップより
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写真は陝西省華山 写真はグーグルマップより
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陝西省華山市華山鎮の街頭 遠景の山並みは華山 グーグルマップより


注*:道籙(どうろく)
   道家の図録でおよそ道に入るものは必ず籙(ろく)を受ける。≪隋書・   経籍志四≫に、受道の法、初めに≪五千文籙≫を受け、次に≪三洞籙   ≫を受く。次に≪洞玄籙≫を受け、次に≪上清籙≫を受く。籙はみな   素書で、諸天曹の官属、佐吏の名を記すこと多少である……。
   素書とは手紙をさす。古人が素(しろきぬ)書いたからである。また、   張良が黄石公から授かった書物をさす。
   ここでは籙は素(しろぎぬ)に書かれたものだったのであろう。


注*:金水分形の法
   草木金石から不老長生の丹薬を合成する術を外丹術という。気を養う
   ことで自己の体内に神秘的な霊薬である『内丹』をつくりだす方法も   ある。金水分形の法がこれに含まれる。また、金水分形の法は口伝で   伝承される。


注*:閉気、存思
      閉気とは呼吸術の一種で、気を閉ざしてもらさぬ事である。
   存思とは精神を集中させること。


 永泰中、華州は虎の害に悩んだ。思遠は人に告げて言った。
「虎など畏(おそ)れるに足りませんぞ。ただ『閉気存思』するだけでよろしい。さすれば、十指の頭からそれぞれ一頭の獅子を出すことができる。ただ、虎と向きあえばよい。すると虎は去ってしまう」


注*:永泰(えいたい)
   唐、代宗の年号。765年正月~766年11月まで


注*:華州(かしゅう)
   古代に陝西省におかれた州。治所は陝西省華県


 思遠はかねて人に同行したが、日暮れ、山の谷の入り口で虎に出くわした。同行の者たちは驚き懼れて散り散りに逃げ去ってしまった。だが、思遠は端然としてひたすらに『閉気、存思』を行ったが、まもなく虎に食われてしまった。
 翌日、同行の者たちは谷の入り口で思遠を捜しまわった。ただ松蘿(さるおがせ)と履(くつ)が二つあるだけだった。


太平広記 妖妄二 明思遠 Chinese Text Projectより
                      拙訳

あとがき
葛洪の『抱朴子内篇巻十七 登渉(とうしょう)』に「虎狼の害を避ける法」というのが記載されている。
以下抜粋(平凡社版 中国古典シリーズ4 抱朴子・列仙伝・神仙伝・山海経より)
 昔の人は黄神越章の印という印形を携行し、住居の四方百歩ごとに印をおす。すると虎狼は入ってこれない。
その他に、三五禁法というのがある。これは口伝であるが、その一つは我が身が朱鳥であると念じて息を止めると虎は逃げ去る。また、呼吸法を使って虎を叱咤する法、護符を携行する法がある……。

 まあ、ため息がでそうな記述である。