苦しむ幽霊

             苦しむ幽霊

 永徽の初め(唐、高宗の年号で650年~655年)、張琮(ちょうそう)は南陽の令になった。
 閤(やくしょ)の中で寝ていると、階(きざはし)前の竹薮から呻き声が聞こえた。行ってのぞいてみたが何もなかった。このようなことが数夜、続いた。琮は訝しく思った。

「神霊というものがあれば一緒に語ろうではないか?」

 祝(いの)って言った。

 その夜、忽然と竹薮の中から一人の男が現れた。

 とてもやつれてみすぼらしい男だ。琮の前に進み出ると問うまでもなく自ら語りだした。

「……朱粲の乱がございました。そのときそれがしは、鎮圧のために従軍しておりまして、粲に殺されました。それがしの尸骸(なきがら)は、ちょうど明府の閤(やくしょ)の前に埋まっています。それがしの一目が、竹の根に傷つけられ、痛さに堪えられません。明府の仁明なるお言葉をたまわり、報告にまいりました。幸いにも移葬してくだされば、その厚恩をどうして忘れましょうか?」

「さぞや辛かっただろう。なぜもっと早く報告しなかったのかね」

 張琮はそういって亡鬼の願いをうべなった。

 翌日、棺櫬(ひつぎ)を用意して竹薮を掘らせると、果たして一体の尸(なきがら)を見つけた。竹の根がその亡骸の左目を貫いていた。

 四季おりおりの着物を取り揃えて柩に収め、城外に改葬した。

 

 その後、張琮は一人の田舎の老人を笞打ちで殺させた。この老人の家では仇討ちをもくろんだ。張琮を夜分に外におびき出させ、そこを狙って殺そうという手筈だ。まもなく南陽の城内に火の手があがり、十余家を延焼した。長官である琮は、すぐさま官舎を出て被害のほどを視察することにした。すると前に改葬した亡霊が、琮の乗馬の前に立ちふさがった。

「明府よ、深夜にどこへいかれますか? 陰謀が今、まさに行われようとしています」

「誰が謀りごとを?」

「以前に明府に罪を得た者でございますよ」

 そこで琮は官舎にもどった。

 翌日、笞刑で死んだ老人の家を急襲して吐かせてみると、亡鬼の言った通りであった。ついにこの陰謀を明らかにすることできたのだ。

 夜、琮はさらにその墓を祀り、石に銘を刻んで記した。

「身は国難に殉じ、死してなお忠を忘れず。烈烈たる貞魂、まことに鬼の雄たり」

 

注*南陽

 唐の山南東道・鄧州・南陽県。今の河南省南陽市

 

注*朱粲の乱

 ja.wikipedia.org/wiki/朱粲を参照のこと。

 カニバリズムが今の私の神経にはたえられませんので、詳細は上記を参照してください。

 

注*明府

   県令や太守の尊称。

注*棺櫬(かんしん)。ひつぎのこと。

 棺も櫬もひつぎ。

 
 以上
 太平広記 鬼十三 張琮より Chinese Text Projectより 拙訳