死後の貞操
新繁県の県令(長官)の妻が亡くなった。
県令は縫物ができる女たちを集め、喪中に着る服を縫わせた。その女たちのなかに、とてもたおやかで美しい婦人がいた。
県令はたいそう彼女が気に入り、この婦人を留めて家に帰さなかった。
彼女は県令からたいそう寵愛された。
数カ月後のある朝、婦人は思い悩んだ様子で、言葉につまったりむせんだりした。
「どうしたのだ?」
県令は怪しんで尋ねた。
「本の夫が戻ってきて、わたしを遠くへ連れて行きますの。だから悲しいのです」
婦人はそう言った。
「私がここにいるではないか。だれがどうしようというのかね。第(やしき)で飲食するのだ、思い悩むことはない」
県令はそういって慰めた。
数日後、婦人は別れましょうと言った。県令は止めたが婦人を引きとめることはできなかった。
婦人が遠方に去ってからというもの、県令は彼女を思いだしてはいつも、片時も銀の杯を手から離さなかった。公衙(やくしょ)に着けば、案(つくえ)のうえに杯を置いて婦人をしのんだ。
ある県尉がいて、すでに任期を終えて郷里に戻ることになった。その妻の神柩はまだ新繁県に置いたままだが、県尉の帰郷にともない柩もまた遠方に移転することになった。県尉は名刺を県令に差し出して、面会を求めてきた。県令の方でも一方ならぬもてなしで応じた。県尉はふと、案(つくえ)の上の銀杯に目をとめた。それからちらちらと銀杯を盗み見ること、たびたびだった。
「どうかなさったか?」
県令は不思議そうにわけを問う。
「この銀杯は、私の亡き妻の棺の中に納めたものです。いかなるゆえんでここにあるのか、さっぱりわけがわからぬ」
県尉が答えた。
県令はしばらく歎息したが、やがてその婦人の姿かたちや声音をのべて、杯を残して去ったことや羅(うすぎぬ)を贈ったことなどをつぶさに語った。
県尉は一日中、憤怒に身をまかせた。のちに棺を開けてみて、婦人が羅を抱いて横たわっているのをみるや、怒りは頂点に達した。そこで薪を積んで火をつけ、棺ごと亡骸を焼いてしまった。
注*惨悴(さんすい)
いたみなやむ
注*言辭(げんじ)
ことば。ことばづかい
注*頓咽(とんいん)
つまずきむせぶ
太平広記鬼二十 新繁県令 Chinese Text Projectより 拙訳
亡骸を焼くこと当時としては魂のよりどころを無くしてしまう、死者への激しい冒涜行為である。
県尉は県令の補佐官であり、この県尉がどの県に勤務していたか不明だが、なんとなく出世コースからそれていた人物のように思えてならない。