妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語

妖(もののけ)の涙小説 玉璽物語

私は妖(もののけ)である。人面鳥身、体の色は青と黄色。人はわが一族を、みみずくの姿をしていると言う。
私は、飛べばその国滅ぶと恐れられるじ鳥(じちょう)の精である。
わが一族は、地に充ち満ちた邪気と悲嘆から生まれ、人血を啜って生き続ける。妖(もののけ)なれば、われらは人の心をもたず、邪気と悲嘆が醸す美酒あるところ、風のように雲集する。われらが羽ばたきに人はおののく。われら飛ぶところ、老いも若きも、丈夫も女も非業の死あるのみ。
じ鳥の私は、一族の中では一風変わっていた。族長は、私を出来損ないと評した。これは耐え難い屈辱と悲嘆であった。傷ついた私は古巣の森を出た。目下のところ、私は都で暮らしている。棲家は玉座だ、人界の至高の座に棲みついている。それまでは、都の城門の楼に住んでいた。雑多な妖(もののけ)がひしめく門楼に。宮殿から悲鳴が立ち上った。私は悲鳴のする方へ飛んだ。悲鳴の主はただならぬ美貌の少年である。私はその美貌が妖物のものと悟った。
「叫んだのは、君だね」
少年は驚いて私を見返した。
「聞こえたのかい。君には私の姿が見えるのか」
「聞こえたよ。はっきり見える。君は一体何者なのだ」
「私は玉座だ」
 少年は磨きがかかった大きな木の椅子を指さした。
「凄いよ。これが玉座か」
冷え冷えとした椅子を撫でてみた。
「虚飾だ。まるで私の姿にそっくりだろ」
 玉座の精は眉をしかめる。
そういえばそうだ。端正でただただ美しい。それだけの存在だ。蜜蜂も蝶も来ない。来るのは野心家だけだ。
そのことを飾らずに伝えると、玉座は私をすっかり気に入ってしまった。
「君がじ鳥でも私はかまわない。心が通じるとは素敵だ」
玉座の言葉に、私の目に涙の幕がかかった。
いいぞ。君は涙が流せるのだね」
こくんと頷くと玉座はほほえんだ。
それからというもの、玉座が私の住処となった。至高の座こそ妖の妖、妖(もののけ)の棲家にふさわしい。
神ならぬ人の身が、神のごとく絶大なる力を振るって人の上に君臨する不条理、この不条理が玉座を妖物たらしめ、この座に即く者もやがては妖(もののけ)となる。
人の心をもたぬ妖の身ながら、時として人の心の気高さに、私の胸は狂おしく波立つのだ。
 その気高い心の持ち主の想い出に、玉璽について語ろう。真の帝王の心があの少年に宿っていたとは驚きだ。あの少年のけなげな決意は、千数百年以上もわが心を茨の鞭で打ち続けて止まぬ。
 あの者は濁流に投げられた白い花であった。醜い鳥の姿を捨てて、私は彼にふさわしい清らかな女の姿で、囚われのかの少年皇帝にお仕えして陰に陽に彼を守ったことがある。私は玉璽をめぐる数奇な物語と妖(もののけ)の物語をここにしるし、あの気高い魂に捧げよう。
 
 

せん鳥(せんちょう)はいずこに
 満月が昇った。月光は蝶の鱗粉のように、黄金の粉を野のあらゆるものにふりかける。荒涼とした長平の野を慈しむように。かつて、そこは戦場だった。戦国趙と秦が壮絶な戦をくりひろげたところである。戦勝国の秦は、趙の投降者四十万人をこの地で生き埋めにした。 戦勝の報告書は、斬首の数や捕虜の数を十倍水増しにして書くのが常である。生き埋めにされた者の数を四万としても、ひとつの都会の戸口に匹敵する。私は長平の野で、髑髏(されこうべ)の山に腰を下ろしていた。数里先まで黄金色に輝いていた。あのときは激戦だった。死屍累々たる死の野は赤くそまり、烏がいやに騒がしかった。
「よっ。の字」
若い男の声がした。顔をあげると、禍々しい顔をした若者が髑髏の上に立っていた。鳥のように突き出た口吻、身分卑しいものが着る青い衣に黄色い帯。ああ、これは……。一目で若者が、亡国の鳥人であることが知れた。見慣れない顔だったからせん鳥の一族であろう。
「おまえはの一族か?」
「よく見破ったな」
若者はうれしそうに笑った。
間抜けな奴。一目見ればそんなことくらいわかる。
この広大な長平の野は、野の殆どが戦場だった。目を閉じれば子守歌のように戦の攻め太鼓がきこえる。星が落ちるように矢が唸って飛んだ。地を揺るがすどよめき、駆け抜ける騎馬兵。二百数十年を経た今も、野晒しの白骨が朽ちもしないで散乱していた。骨は朽ちることなく非業の死の恨みを天に向けて放っていた。紀元前二百六十年の長平の戦以来、風が吹けば髑髏はひょうひょうと哭いた。何百年もそうやって哭いている。その野で、私は気にいった髑髏を選んで冠のようにかぶり、その姿をかりた。ゆえに、私は人面鳥身の姿を失って久しい。それは十四才の少女である。鍋釜さげて出征する許嫁についてきて、この地で果てた。少女の髑髏は惚れ惚れする形の良い骨である。
「そんなところでなにをしている」
せん鳥が聞いた。
もの思いにふけっている」
私はぶっきらぼうに答える。
「それくらい見ればわかるさ。髑髏をかぶると人に化けられると聞いたが、本当だ。しの字よ、よい髑髏を捜したものだぜ」
 せん鳥は嘴で髑髏をひっくり返し、あれやこれやと品定めし続けた。
「おっ、これだ。これがよいぞ。こわもてする面構えだぜ」
 兵士の髑髏を両の翼で抱え込むと、頭の上にのせた。金の柔らかい光がせん鳥の体をすべり、せん鳥は一人の若者に姿を変えていた。青い細身の上着に黄色の細身の袴、趙国が採り入れた胡服を着込んでいる。色こそ奇抜だが、そのうちに彼ならどこかで服を盗んで、適当に洒落込むだろう。
 「おまえ、どこへ行く?」
 私はせん鳥に問う。
「都だ」
「なにしに都へ行く」
「そりゃおまえ、うまい肉を求めてさ」
「仕官してこの野晒しの髑髏を……。都会をまるごと生き埋めにした、秦の白起のような酷い武将になるのかい?」
「白起は英傑だぞ、それもいいな。俺は妖(もののけ)だが、妖とて一人ぼっちは寂しいから、大勢の部下に囲まれてちやほやされたい」
「なるな。武将なんかになるな」
「しの字よ。やけにむきになっているじゃねぇか」
「しの字じゃない。私は趙英媛、出征する許嫁に付いてきて、ここで斃れた」
「へっ。髑髏の主かい? 人の心を持たぬはずの妖が、心をなど持ってどうする? 不幸になるぜ、おまえ」
「……それもよい」
「ふん。面倒な奴だな。面倒はすきじゃねぇ、あばよ」
  せん鳥はつむじ風のように黄金色の渦をまいて飛び去った。
 
 夕日が荒廃した洛陽を赤く染めた。それは、洛陽を舐め尽くした火炎を思い出させた。私は崩れかけた城東門にもたれ、街道をぼんやりと眺めていた。行き交うのは荒くれた兵士ばかり。目つきが悪い男がちらちらと私をみる。底なしの命知らずだ。ぶしつけにも、男が私をつかまえようとした刹那、私は一陣の風のように男の腕をすりぬけて姿を消していた。男の泡を食ったような顔が痛快だった。


 続く


じ鳥のじはの下に鳥を組み合わせた文字。読みはし。山海経では「じ鳥」と読みます。
せん鳥のせんは鳥という文字です。
 いずれも「その飛ぶところ国滅ぶ」という禍々しい鳥です。
 漢字表になかったので、外字を作ったのですが、ブログにアップすると「□」に変換されるだけです。


 玉璽について史料、沢山残っていますので、史料を使い回しまして小説に仕立てました。