妖(もののけ)の涙 ――小説 玉璽物語3
ああ、あれはわが「し鳥」の一族が新の都、常安城のうえで亡国の歌をうたったときのことだった。常安という名前、いかにも王莽らしい。長安を「常に安らか」の意をこめて名を改めただけのこと。
思い出したわ。緑の陰でいつも翼を休めた凛々しい公孫樹との悲しい想い出。
その日、王莽が作室と名を改めた尚方の庭は、黄金色の公孫樹の落葉に覆われ、落日の最後の名残をとどめて明るかった。ぱくりと口をあけた地底から這いのぼる闇に私はおののいた。一本(ひともと)の、凛々しい私の公孫樹はまもなく命を終えようとしていた。それを告げる勇気はなかった。ただ、公孫樹の最後を見とどけよう、私の命つづく限り、作室の一本の公孫樹の輝きを記憶にとどめよう。
その日は、王莽の暦の地皇三(西暦23)年十月一日、漢の暦では更始元年九月一日。
「なんだか胸騒ぎがするね。見て来てくれないか」
公孫樹がささやいた。本当のことがいえなくて、私は頷くと枝から飛び立った。愛しい公孫樹よ、私たちはあと数百年ほど他愛ないおしゃべりをしながら過ごすはずだった。私は号泣しながら、ふつふつと殺気が立ち上る方角に飛んだ。
宣平城門から、あの門は巷で「都門」と呼んでいたわ。都門から、更始帝を戴く漢の兵士が長安になだれこんだ。「われこそは王莽を捕えて、過分の恩賞を獲ん」と、意気込む猛者が七百人以上もいた。その目はわが一族もたじろぐほどぎらついていた。おそらく、わが一族の血は人にも受け継がれたらしい。いつかその秘密を知りたい。
黄昏は去り闇がつる草のように城をからめ捕る。灯をともす家はなかった。一人残らず逃亡してしまったのか、役所やめぼしい邸宅は死に絶えたように静まり返っている。
王莽の暦の十月二日。
城中にのこっていた若者の朱弟、張魚たちは略奪から身を守るために群れをなし、大声で叫びながら作室まで進むとその門を焼いた。さらに敬法殿の小門を斧で壊して侵入し、「反逆者の王莽、なぜ投降しない」と、口々に叫んだ。
火の手は後宮の承明殿や、平帝の皇后だった王莽の娘である黄皇室主のすまいまで迫った。
「お逃げなさいませ」
黄皇室主は逃げなかった。女ども悲鳴が呪詛のように天に立ち上る。せつなくて私は顔を背けた。
「漢の皇帝にあわせる顔がございませぬ」
そう言いのこして室主は火炎に身を投げた。
私の一本(ひともと)の公孫樹は、炎のなかで数百年の命を終えようとしていた。
「あなたがいたから、長安は黄金色に輝いていたわ……。また……お会いしましょう」
私は別れをつげた。
「いつか芽が出たら、たずねてきておくれ。空に腕をさしのべて歌った日々のこと、思い出させておくれ。おまえの顔、よく見せてごらん。ああ、目の前が暗い……」
「会いにいく。きっとよ、愛しい私の公孫」
公孫樹は涙を流しながら火の柱になった。
約束はまだ果たせないでいる。姿のよい公孫樹が若芽を出した話を聞かないから。美しい長安の想い出は、一本の凛々しい公孫樹とともに消えた。
王莽は宣室の前殿に避難したが火の手はそこにも迫っていた。
「ああ、どうすればよいの」
「助けて。助けてください」
宮人や女たちが大声で泣き叫んでいた。いまや新王朝の宮殿は巨大な難破船と化していた。
王莽の梟に似た丸い大きな目、短くてがっしりした四角い顎、その顎を虎の顎と言った者がいた。威圧的な大声はなんと品がないこと。人はその声を豺狼の声と評した。なるほど、どこか獣の咆哮めいた感じがする。
王莽の人相は「豺狼の相」と、側近が漏らしたので、近頃では扇の類で顔をかくしていたが、その日は隠す暇もなかったらしい。蜂目豺声をかくそうともしないで王莽は、紺色の衣をまとい璽韍(じふつ)を帯び、「虞帝の匕首」を手にしていた。
虞帝の匕首(ひしゅ)。私は蒼ざめ顔をそむけた。あの鍛えに鍛えた天下の名剣は、妖(もののけ)の大敵、刺さずとも、その研ぎ澄ました光は私を灰に変える。あの名剣がなぜ王莽の手にあるのか不思議だった。
戦国の末、燕の太子丹の刺客になった荊軻が、秦王政(始皇帝)を斃すために旅立つ。易水まで見送る太子丹に荊軻は覚悟のほどを歌った、
風は粛粛として易水寒し
壮士ひとたび去りまた帰らず
あのとき荊軻が懐に忍ばせていたのは、毒に浸した「徐夫人の匕首」、天下に聞こえた百錬の短剣だ。「虞帝の匕首」もまた「徐夫人の匕首」に並ぶ伝説の名剣である。
続く
し鳥の「し」の字は次の下に鳥を組み合わせた文字です。