妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語十四

   妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 十四

ど、どっどっ。どっどっどっ。蹄の音が大地を揺るがす。いつの間にか眠ってしまったらしい、私は飛び起きた。

日は高く昇り、赤金色の光が寝藁の上で踊っていた。半ば崩れおちた窓から外を伺うと、白馬の一団が野面を駆け抜けていく。螻蛄(けら)は数千人の白馬の軍団と騒ぎたてていたが、じっと目を凝らせばせいぜい数十騎でしかない。ああ、あれが有名な公孫瓚(さん)の『白馬義従』なのか。さすがに鉄騎と恐れられた精鋭である、号令にあわせて左右上下と一斉に弓を射る。まるで漁(すなど)りの投網(とあみ)のように一矢乱れぬみごとさに私は舌を捲いた。匈奴や烏丸の騎兵とかわらぬ、いや、それをしのいであまりある手綱さばきだ。白馬の騎馬団のどこに公孫瓚がいるのかわからない。なるほど、これは公孫瓚の影武者団ではないか。たいしたものである、公孫瓚は。

私は公孫瓚がたどった人生に思いを馳せてみる。

この男、幽州は遼西郡令支県(れいきけん)の世々二千石の家の子である。伯珪という字(あざな)の「伯」から推し量れば公孫の家の長子である。名門の若君として何不自由なく育ったはずだが……、そうではなかったのである。「母の身分が卑しい」からと、公孫の家の子とみなされなかった。瓚の母の墓は令支ではなく、雒陽(らくよう)の北芒山にある。おそらく母は都の狭斜(きょうしゃ)の住人、妓女だろう。父が雒陽(らくよう)に滞在したときに馴染みとなり瓚が生まれたのだろう。それゆえ瓚は、世々二千石の家の子にふさわしい学問を受けさせてもらえなかった。これは官途にあるものにとって、生涯下積みを覚悟しなければならないことを意味する。

世々二千石の家の子は郡の小役人などにならないが、実家の力をあてにすることができない瓚は生活のために、あえて小役人になった。家の力をあてにできない彼は、自分の力でのしあがらなければならない。それは地の底からはいあがるようなものだったが、瓚はそれをやってのけた。公孫の家では人の数に入らなかった瓚が、今や英雄ここにありと公孫の名を中華にとどろかせたのである。

 

向こうの森へと白馬の群れが疾駆する。騎兵は平地の戦には圧倒的な強さをみせるが、木々が茂る山林の戦には歩兵が圧倒的に有利である。瓚は盧植のもとで儒学をはじめ、孫子の兵法も学んだはずである。にもかかわらず森での練兵に励む。なにか新しい兵法でも編みだそうというのか? 瓚の心は計りがたい。確実なことは白馬義従が駆けるところ、決して鳥に変化(へんげ)してはならないことだ。命がいくらあっても足りない。


水を求めて私は廃屋を出た。おお、なんと無残な光景だろう。私は、びっしりと苔のように地面を覆う螻蛄(けら)の死骸をみた。やはり昨夜、土竜(もぐら)と螻蛄との間で戦があったのだ。呆然と立ち尽くす私の足元で螻蛄がジーと鳴いた。

「踏むな、踏むな」

しわがれた声がした。夕べ師匠と呼ばれていた螻蛄の博士の声である。無数の死の中の生存者に、私は瞼が熱くなった。身をかがめると、螻蛄をそっと手のひらにのせた。螻蛄は大儀そうに左右にのそのそと体をゆする。呆れたことに体を揺するたびに螻蛄は大きくなり、片手からはみ出すほど大きくなってしまった。殺気を感じとった私はとっさに螻蛄(けら)を空に放り投げていた。すると螻蛄の体は虎に変化(へんげ)して獰猛(どうもう)な首を突き出し、赤い口をあけて牙をむいた。

「娘の皮をかぶった怪鳥よ。これでもわしを食らうのか?」

「食らう? 螻蛄の化け物なんぞ食らうと腹を壊すだけだ」

「へん。何を食らって生きておる、うん?」

「ふん。天の気を受けた露だよ。朝の光に七色に輝く露さ」

「信じてよいものやら……」

 螻蛄の心が動揺しているらしい、獰猛な首がゆらゆら揺れた。

「この体の輝きをみよ。螻蛄の肉を食らったら土気色だ」

「妖(もののけ)の言葉、信じてよいものやら」

 猛虎の顔がしぼみ始めた。

「やい。虫の妖(もののけ)、さっきの勢いはどうした?」

「おお……、それじゃよ、それ。悲しゅうて悲しゅうてたまらぬ。ああ、わしは死に遅れてしもうた」

 螻蛄の声が湿り、大声で哭きはじめた。螻蛄の体はどんどん縮んでいき、ぽとんと螻蛄の死骸の山に落ちた。

「おーい、若者たち、目を覚ましてくれ。これは悪い夢かのう。はやく起きてくれ」

「生き残ったのはおまえだけか?」

「いいや、童男童女と年寄りがおる」

「まだ望みはあるではないか?」

「血も涙もない妖(もののけ)め。死者の魂魄(こんぱく)をなんと心得おる。墓をこしらえ祀ってやらねばなるまい。わしら残された者たちはあまりにも非力で、墓すら作れぬ、それを嘆いておる」

 馬鹿馬鹿しくて私はこの場を離れるために飛ぼうとした。そのとき、甘美な餌の臭いにつられて、蟻の大群が隊列を作って押し寄せてくるのをみた。黒い小川のようだ。

「ああ、なんてこった。こらっ。不埒な蟻ども、散れ、散れっ」

 螻蛄の博士がジージーわめいた。

「なぜ、無謀な戦を止めなかったのか。体を張って止めるべきだった。盧先生のところで習った学問は無駄だった。兵法を学んだはずでしょうに」

「ちっ! 鳥の妖(もののけ)よ。蟻の大群を蹴散らしてくれ」

「墓を作ってもだめです。蟻は墓の中に巣穴を作るでしょう。白馬寺の沙門が言うには、死は終わりではなく輪廻(りんね)といって、虫もさまざまなものに生まれ変わるそうです。壮士きどりの愚かな螻蛄(けら)たちのために祈っておやりなさい」

 私の言葉を解したのかどうか不明だが、老いた螻蛄は悲しげにジージー泣き続けた。

 

おかげで私は、螻蛄の博士に公孫瓚がどんな顔をしているのか聞くことができなかった。

人目をひく美貌らしい。姿もこのうえなく美しく風情があるらしい。瓚の母親もきっと美貌でこのうえもなく姿のよい人だったに違いない。

瓚は知恵がまわり、周囲が舌を巻くほど記憶力がすぐれていた。そして役所一、声の大きい男でもあった。何が幸運を招くかわからない。遼西郡の郡役所につとめたことが彼に幸運をもたらした。有能な仕事ぶりが侯太守の目にとまり、太守の娘婿に選ばれた。太守の援助で涿郡の盧植のもとで学問を学んだ。門下生というは大抵、師の引き立てをうけた。師匠が偉くなればなるほどその門下生に箔がつき、官職に就きやすくなるわけである。

ところで盧植という男、面白い漢(おとこ)である。残念ながら私は彼と対面したことはなく、噂を耳にするだけだ。盧植董卓を諫めたために憎まれ、都から逃げた。案の定、董卓の追っ手がかかった。そこは孫子の兵法を熟知した盧植のこと、追っ手の裏をかき別の街道を通ってみごとに逃げさった。

目下のところ山中に潜み隠れているらしい。老衰で死んだという噂も聞いた。

「おい、妖(もののけ)」

 じー、じー。螻蛄(けら)が鳴いた。

「妖(もののけ)、妖(もののけ)とうるさいね」

 楡(にれ)の木にもたれて公孫瓚たちのことを考えていた私は、声のする方へと顔をむけた。

「ここじゃ。ここじゃ」

 楡の梢から小さな黒いものがぽとんと降ってきて、それが私の衣の袖の上でじーと鳴いた。猛虎に化けて私を威嚇したあの螻蛄だ。

「なんだ、虫の妖(もののけ)。墓はできたのか」

「ふん」

「ははぁ、蟻の国の食料庫で眠っているか」

「ふん、白馬寺はどこだ?」

白馬寺をしらないのか。雒陽(らくよう)だ、天竺(てんじく)の坊さんたちがいた寺だ」

「いた……、今はいないのか?」

「いない。董卓が雒陽宮に火を放ったから、天竺僧はどこかへ逃げてしまった」

「天竺に帰ってしもうたか」

「そうではない。西への道は塞がった。それに西では食糧がなくて人を捕らえて食らう」

「ほう、人も妖(もののけ)と変わらんのう」

「仏の道を広めるために万難を排して中華に来たのだ。帰らない覚悟だ。揚州あたりに寺がたくさんできたと聞く。そちらへ避難したのだろう」

「妖(もののけ)よ、わしを寺に連れて行け」

「困る」

「なぜじゃ。礼ならたっぷり用意してある。黄金だぞ」

「黄金? 私のようなものに黄金が何の役に立つ」

「人界で生きて行くには賄賂も入り用じゃろう」

「おかしなことをいう化け物だ」

「化け物とはなんだ? 許せぬ」

螻蛄はみるみるうちに子犬くらいの大きさに膨れ上がり、虎の形相を呈した。

「噛もうというのかい? この化け物」

 私は袖をふるって螻蛄(けら)を払いのけた。

「身勝手にもほどほどにしろ。ちゃんと名前がある、なのに口を開けば妖(もののけ)、妖(もののけ)だ、無礼すぎる」

「ふーむ。こりゃ悪かった。わしの姓は婁(ろう)、名は估郎(ころう)字は好学という」

婁好学さんか、螻蛄にちなんだ立派な名だ。私は趙英媛、知り合いは私を趙姐さんとよんでいる」

「趙姐さんかい? 趙の国の女たちは垢抜けていて歌舞音曲にたけているが、あんたも趙の国の者かい?」

「国はずっと遠い……」

 私は暗い目をしたに違いない。螻蛄はからかう代わりに縮んでしまい、小さな非力な虫に変化した。

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後漢の幽州 中国歴史地図集より(三聯書店)

 つづく