妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語十七

   妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 十七

「わっはっは。天下の袁術が嫉妬に身を焦がす」

螻蛄(けら)の好学が笑った。

「先生は笑いなさるが、本人たちには由々しいことですぞ」

「うむ、そうだろう」

 好学が頷く。

「わが鼠族は人にも劣らぬ慈愛と知恵をもつ。にもかかわらず人は鼠輩(そはい)と、取るに足りぬ者やつまらぬ者のことを鼠たとえて蔑(さげす)む。悔しゅうてならぬは……人間の行いがいかにでたらめかを棚にあげておいて」

白頭王の目が涙に潤み、涙が梁から床へとおちる。

人が鼠輩と蔑む鼠の涙である、したたるのは滴(しずく)ともいえぬ霧でしかなかった。ところが、あの小者がさっと梁を一瞥した。小者の顔をみた私は思わず声を立てそうになった。幽州へむかう避難民の群れにいた間抜けな若い男だった。予言書の、『当塗高(とうとこう)』という言葉にかこつけて、「衰えた漢室代わるものは袁公路(術の字)、次の天子さまは公路だ」と触れていた袁術の間諜(かんちょう)に、危うく殺されるところだったあの若い男だ。あのときの馬鹿面が信じられないほどの引き締まった顔だ。うまく化けるものだ。しかし、どんなにうまく化けても変わらないものがある。それは目だ。あのときの目の色を私は忘れない。

「奴め、袁紹の間諜だったのか。袁紹もなかなかものも、天子に立てようとする劉輿にも監視の目を光らせていたのか。お逃げなさい」

あきれたものの、殺気を感じて私は姿を消した。好学も白頭も梁を走った。

 間諜はぱっと起き上がると跳んだ。なんたる跳躍力、間諜の頭が梁の高さにとどいた。

「殿、非礼ゆるされよ」

 息も切らせず間諜は床に飛び降りると元のように床に這いつくばる。

「物の気配をかぎ取りましたが、鼠一匹見当たりませぬ」

 

「その方、名はなんと申す」

 袁紹はほれぼれするような笑顔をむけた。おお、あの笑顔、あの笑顔にこの間諜もころりと参る。

「郭信、字は季虎でございます」

「獼猴(びこう)もどきの跳びざま、良いぞ。なかなか良い」

「はっ。恐れいります」

「気配なら気にするな。人の思いが凝り固まって石くれのように周りに散らばっておる。それが怪異をおこすのだろう。古い城にはつきものだ。このあいだも寝所でふと目を覚ますと、大人びた顔つきの子供が私の顔を覗き込んでおるのじゃ。『だれだ?』と問えば、『私は玉座をつかさどるものだ』と言うが早いか、闇に溶け込んでしもうた」

 本初は豪快にぽんと膝を叩くと、人をとろかす笑顔を一同にむけた。下心がむき出しである。追従笑いをする者もいれば、うつむいている者もいる。

新たな玉座の精が生まれ、育っている。これぞ袁紹の密やかな野望とその取り巻きが生み出した妖物である。それは、どのような醜い怪物に育っていくのだろう。あるいは美しいものに育っていくのだろう。

驚いたことにそのとき突然に、「違う。袁紹ではない!」という声が私の胸の中で響いた。予言者でもないのに私は、袁紹玉座の継承者でないことを予言してしまった。つらつら思うに、きっと私は袁紹が好きではないのだ、だからそうであって欲しくないと願っているのかもしれない。神々が紡きだす時の流れを止めることも変えることもできない、私はただの傍観者である、妖(もののけ)である。しかし、妖(もののけ)にも心がある、善き人をみれば心は躍り、悪しき人を見れば心は怒り、滅びゆくものをみれば心は血を噴く。袁紹はあの少年のために何をしたのだろうか?

 郭信というやっかいな男が姿をけすまで、梁の隅で死んだように息を潜めて時が経つのを待った。やがて広間から人が消え静まり返った。代わって遠くで、楽の音がながれだした。歌姫の歌声に混じって男どもの囃(はや)し声がわき起こる。世の中は飢えていたがここ冀州は別天地のよう、酒も食糧も事欠かない。底が抜けた瓶(かめ)のように酒を飲み、食らい、歌い、戦略を戦わせる。そして、いっこうに董卓と戦わない。

 

「ああ。あの宴ほど悲しいものはない。私は弘農王最後の宴(うたげ)を一生忘れないね」

黒衣郎の仲間の年老いた烏(からす)が、泣き泣き私に訴えた。

さきに董卓は、「愚を廃して賢を立てる」と主張して、天子劉辯を廃して弘農王とした。そしてその異母弟である幼い陳留王劉協を即位させた。次の年、山東に義兵が起こった。董卓はその勢いが盛んであると知るや、弘農王を殺して義兵の望みを絶つことにした。

「あの厚かましい粗野な董卓めが、弘農王たちを御殿の二階にいるようにめいじたのじゃよ」

「まあ……。帝王の位から引きずりおろしておいて、まだ何かをたくらんでいるのですか」

「蝮(まむし)に睨まれた蛙のようなものじゃつた。郎中令の李儒の奴に毒酒を持たせて迫らせた」

「郎中令、王国の家来ではありませんか。王の役所の警備にあたるものがなんてことを」

董卓の残忍さに耐えられないのじゃ。都は恐怖が支配していたからのう」

「……弱い……、人は風に靡く芒(すすき)のよう」

李儒の奴、欺いて『この薬を服せば体の悪しきものを除けますぞ』と、猫撫で声をだして酒壺を進めた。すると王は、『私はどこも悪くない。私を殺そうというのか』と、拒絶した。ばれちゃ仕方がない、あわてて無理矢理のませようとしたのじゃ。王は逃れられぬ運命を悟ったのじゃな。太行山の東にゃ義兵が起こり、日増しに人数が増えとるというのにのう。妻の唐姫や宮人たちと別れの宴を催すのじゃ。さすがの李儒とて断れんものじゃな。酒杯を重ね、王は歌われた」

 

天道易兮我何艱! 棄万乗兮退守蕃。

 

逆臣見迫命不延、逝将去汝兮適幽玄!

 

天道は易(やす)きも我は何ぞ艱(くる)しき。

万乗を棄てて退いて蕃を守る。

逆臣に迫られて命は延びず、

逝くゆく将(まさ)に汝を去って幽玄に適(ゆ)かんとす。

 

歌いながら烏は涙を流し続け、嗚咽するのであった。

「おお、泣いてしまった……よく、覚えておいてくだされよ。わしは命儚い烏の身、百年たてばちっとは世も変わっておろうに、それを見ることができぬ。

人間どもはあの孤独で感じやすい少年を、董卓のこじつけで押した愚かという烙印を、百年のちにもしんじるのだろうか。史官はどのように記すのか。姐さんよ、その目で確かめておくれ」

 烏は涙にぬれたつぶらな目でじっと私を見た。私はうろたえた。私は私の公孫樹の魂魄を探し求めている。もしもあの凛々しくやさしい私の公孫に巡り合えたら、私は彼と運命をともにしよう。公孫なしに長く生きても生きる意味を見いだせない。彼の命終わるとき、私もまた命を終えよう、その時がいつ来るかわからないでいるが。

 烏の目があまりにも悲しげだったから、私は思わずこくんとうなずいてしまった。

 

「歌い終わると王は愛しげに唐姫を見つめ、『この世の見納めだよ。私のために舞え」とおせせられた。姫は立ち上って袖をあげて歌われたのじゃ」

 

皇天崩兮后土頽、身為帝兮命夭摧。

 

死生路異兮従此乖、柰我煢独兮心中哀!

 

皇天は崩れ后土は頽(くず)れ、身は帝となるも命は夭(くだ)け

 摧(くだ)かる。

 死と生とは路異なりてこれより乖(たが)う。柰(いかん)せん我は煢独(けいどく)にして心中哀しきを。

(詩の訳は『岩波書店・吉川忠夫訓注の後漢書』によりました)

 

 語り、歌いながら老いた烏は身をよじって泣き続けた。

 「あのとき、王も唐姫もさめざめと泣かれた。その座に居合わせたものはみなすすり泣いたものじゃよ。『唐姫よ、そちは王者の妃(きさき)だ。私がいなくなったからといつて、くれぐれも吏民の妻になるな。自愛せよ、これにて長(なが)の別れをつげる』と仰せられ、毒酒を仰いだのじゃ」

泣き疲れた烏を私はただ、ただ撫でてあげることしかできなかった。

 

今、梁の上でふと思ったのであるが、煢独(けいどく)という言葉は、兄弟のないものと子のないもの指している。つまり頼るところがない独身(ひとり)者をいうが、唐姫には頼るべき実家があるから煢独に当てはまらない。今生に未練を残しながら若死にさせられた王に、唐姫は女の命を捧げる意を固めている。

おや。今になってようやく気がついたわ。子の数といえば男をさし、よほどのことがないかぎり女を加えない。唐姫があのとき殉死しなかったのは、もしや、幼い娘がいたからではなかろうか? だから唐姫はわが身を煢独(けいどく)といったに違いない。王が死ぬと唐姫は実家に帰ったと聞いている。


つづく



廃帝劉辯は資治通鑑によれば即位したとき、十四歳、死んだとき十五歳となっています。
後漢書によれば即位したとき十七歳、十八歳で死んだとあります。

彼と妻の唐姫の歌から察すると、決して愚かではありません。なんとも孤独でナイーブな少年です。そして知的な感情の発露と、少年らしい感性が感じられます。
顔氏家訓という本をよみますと、
史書は後世の者がどんどん面白おかしく書き加えていくとありますので、
唐姫とのやりとりも、怪しいのかなという感じもいたします。
また、資治通鑑の死亡時十五歳というのは、少し無理があるように思えます。
ませ過ぎていやしないかな……。