白秋の『片恋』によせて

   白秋の『片恋』によせて


高校の中庭の芝生に並んで座った友は、
感傷的に白秋の詩を口ずさみました。


     あかしやの金と赤とがちるぞえな。
     かわたれの秋の光にちるぞえな。
     片恋の薄着のねるのわがうれひ
     「曳舟」の水のほとりをゆくころを。
     やはらかな君が吐息のちるぞえな。

     あかしやの金と赤とがちるぞえな。
    (北原 白秋 「片恋」より)

 たぶん、秋の日だったと思う。この詩は国語の教科書に出ていたと思う。
わたしは空を急ぐ雲に目をむけて聞いていたのだろう。
友は、恋をしては失恋していた。そのときも何度目かの失恋をしていた。
秋にぴったりの詩だ。友はこれからどれだけ数多くの恋をするのだろう。漠然とそう思った。
友は高卒で就職した。某飲料会社の電話交換手になった。すぐに仕事になれて、頻繁にわたしに電話してくる。
新しい恋もしてめでたいことに両思いになった。電話で彼のことをペチャクチャしゃべるのだ。 学生のわたくしぐらいだ、長電話につきあえるのは。わたしとの電話の合間に仕事をこなし、仕事の合間にわたしと電話するってぐあい。そんな風にして一時間以上はたったと思う。
「もしもし」
「えっ、まだ話していたの」
 突然、受話器のむこうからおじさん風の男の声が響いた。
 わたしは慌てふためいて電話を切った。あれほどぎよっとしたことはない。
 翌年、友はその彼と結婚した。十九歳の若さを不安がる親を説き伏せて。

歳月は流れた。
わたしは秋の公園を散歩しながら、落葉ひとしきりの銀杏の葉に目をやり、
「金と銀とがちるぞえな……」と、つぶやいていた。なぜ金と銀なの?その後が続かない。
図書館で白秋の詩集を借りてあっ、と思った。
友が片恋を脱してから、
私の記憶から「片恋」が消え、ただの秋の詩になりかわっていたのだ。しかも、なんということだろう、「金は百歳銀は……」という愛らしいおばあちゃんの印象がすりこまれ、
『金と赤』という白秋の情念へのこだわりがぽかっと消えてしまっていたのだ。

記憶はなんと不確かなものだろうとまざまざと思い知った秋の日だった。