洛陽の錬金術師


         洛陽の錬金術

唐の玄宗の御代のことである。

洛陽の高五娘は器量よしだった。五娘は李仙人というものと再婚した。実は李仙人は謫仙(たくせん)だった。その頃、罪を犯して天上界から地上に流されていたのである。

李は高氏とよしみを結んでからというもの、ずっと洛陽に住んで黄白(おうはく)を生業としていた。高氏はその製法をすっかり覚えてしまった。

開元の末、高氏と李仙人が結婚して以来五、六年たったある夜の五鼓(明け方の四時)のことである。空から李を呼ぶ声が聞こえた。なにごとかと李は急いで衣を着ると門を出た。そして何者かと話をしていたが話が終わり戻ってくると高氏にいった。

「私は天仙だよ。先ごろちょっとした罪をとがめられ、人界に流されたが、今、流罪の期限が満ちて、天上から呼び戻しにきた。そういうわけでここにとどまることができない。多年にわたってかいがいしく世話をしてくれたそなたの厚い情けをおもうと、なんとも悲しくて耐えがたいものだよ。私がいなくなった後、そなたは黄白の術で暮らしを立てなさい。言っておくがくれぐれもこの術を人に漏らしてはならないぞ。人がひろく金銀を合成するようになってはならぬ。特にそなたの身を損なうばかりか、なお亡き人(原文*前人)にも災いが及ぶのを恐れるからだよ」

言い終わると李仙人は天へと飛び去った。


はじめのうちこそ高氏は仙人の言葉を守ったものの、のちにはその戒めをやぶり、大量に銀を売るようになったので、いやでも人目に付いた。市場(坊)の取り締まりが役所に届け出た。時に河南少尹の李斉はそのことを知ると、捕らえるどころか不問にふした。ひそかに人をやって高氏を召し出した。前後して十余回(原文*床)にもおよぶ黄白の術を駆使して銀の器物を焼成した。李斉はこのことを朝廷の要人たちに伝聞したのである。一年もしないうちに李斉と高氏は死んでしまった。時に世間では天罰だといったものだ。

出《広異記》

 

注*開元

唐の玄宗の年号713741年まで。開元の末年は開元二十九年にあたる。

注*披

ここでは着ける、着衣する意

注*繾綣(けんけん)はなれずつきそうてむつまじい。

繾綣は一、情が厚くて離散しない。心に盟つてそむかない。離れずつきそう。二、物を丁寧にする。反復をいとわない。

注*一夕

  一晩、ある夜

注*天仙

  仙人の階級の一つで、姿形をそこなうことなく天上にのぼる力をもつ仙人。山岳に棲む仙人は地仙という←抱朴子の注より

注*居多(きょた)

 おおきにおる。大部分をしめる。

*黄白(おうはく)

  金銀を合成する法

抱朴子内篇巻十六(葛洪)黄白

白い鉛が赤い丹に変わり、丹がまた白い鉛に変わるなど万物のなかには忽ち異物に変化する例が少なくない。金銀が他物から作れないはずはない。俗人は漢の劉向(りゅうきょう)が金をつくろうとして失敗したのを見て、錬金術はないというが、これはたまたま旱魃の歳だけをみて穀物をうえることができないというに等しい。道士の李根や程偉の妻が銀を作った例がある。……要領が判れば凡人にでも作れるはずである。最も簡単で効果のある法、まず武都の雄黄でとさかのように赤いのを五斤以上、搗いて粉にし、牛胆であえ、煮詰めて乾燥させる。赤土の一斗釜を用意し、戎塩・石胆の粉末を釜底に三分の厚さにしき、そのうえに雄黄末を二分の厚さに加え、また戎塩を上にしく。こうして一杯にして、砕いた炭火を厚さ二寸に加える。蚓螻土(いんろうど)・戎塩で泥を作り釜の外側に塗り、も一つの釜で覆い、それも厚さ二寸に泥塗りする。一ヶ月陰干しにし、馬糞の火で三日三晩暖め、ふいごで加熱すると銅が流れ出る。この銅で桶を作り、丹砂水を入れ、馬糞火で三十日間暖め、ふいごで加熱すると黄金になる。……黄金・白金を作るには太乙・玄女・老子を祭り、五種の香を焚き続けること。黄金ができたら、まず三斤を深い水に投じ、一斤を市場に投げ捨ててから用いるがよい。

注*蚓螻土(いんろうど)

 白頸蚯蚓(しろくびみみず)の糞だという。

注*雄黄(ゆうおう)

 ヒ素の硫化鉱物である。石黄と呼ばれている。As2S3

あかるいあざやかな黄色

 中国では鶏冠石を雄黄という。本来の雄黄は雌黄とよんでいる。

いずれもヒ素を含有

牛胆(ぎゅうたん。牛の胆嚢)

戎塩

注*五鼓

 顔氏家訓によれば漢魏以来、夜間の時刻を甲夜(20時)、乙夜(22時)、丙夜(24時)丁夜(2時)、戊夜(4時)と五つに分けてまた、一鼓(20時)二鼓(22時)三鼓(24時)四鼓(2時)、五鼓(4時)とも称し、また一更(20時)二更(22時)、三更(24時)四更(2時)五更(4時)とも呼ばれる。……省略

注*河南小尹(旧唐書より)

  尹一員従三品京城守。秦は内史という。漢では尹といい後代これに因る。隋では内史。武徳のはじめ牧をおき長史をもって府事を総す。開元のはじめ、雍、洛、并を改めて府となし、すなわち長史を昇格させて尹となす。従三品。もっぱら府事を総す。

 少尹は各二名従四品下。魏、晋已下、州府(州役所)に治中あり、隋の文帝は改めて司馬とし、煬帝は改めて贊理となし、また丞とし、武徳中、改めて治中としたが、永徽、高宗の名を避け、司馬と改める。開元の初め改めて少尹となす。

京都市

京師に東西市(長安)、南北市(洛陽)あり。令一人従六品上。丞各二人、正八品。録事一人、府三人、史七人、典事三人、掌固一人。京、都市をして百族の交易の事を掌る。丞これの副となす。


 また、床の扱いですが、鉱床というように鉱物にもちいるので、ここでは一回の黄白の術に使用する材料の数のように解しました。

寝床と解するのも変ですし……。高氏がどのような方法で黄白の術を駆使したのか不明です。


以上「太平広記」仙人四十二の『李仙人』より拙訳