妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語二十
妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語二十
地上に黒い影が走る。空を仰げば、飛蝗(ひこう)の大群さながら黒い塊が、唸るような羽音とともに東へと飛んで行く。ああ。黒い森の仲間たちだ。鳥(じちょう)族の戦士たちが翼の羽ばたきも勇ましく、東へと飛んでいく。
「こんにちは、黒い森の衆」
こみあげてくる懐かしさをどうしょうもなかった。私は手をふりながら鳥族の言葉で叫んでいた。
「だれだ。だれだ」
「わしらに話しかけるのはだれだ」
群れの中ほどから野太い声が響いた。
「その声。おまえさまは銀の巻き毛の十三郎……。金目の長(おさ)は達者でおありか?」
なぜだろう。棄てたはずの故郷と同胞(はらから)がこんなにも懐かしいとは。私の目は涙で曇った。
「おまえは何者だ」
巻き毛の十三郎が私の頭上を旋回する。彼の声は威厳に満ちて大きい。
「お忘れか? 私は鳥送りのお婆の養い子、森を出て数百年になります……」
「おう。昔、人界に行った女たちがいた。おまえはその女たちの仲間だな」
「長もお婆もお達者ですか?」
「なにもしらないのか? 長もお婆も鳥送りの歌に送られて天の高みに飛んでいった」
「逝ってしまわれたのか……」
「今ではわしが長だ。群れに戻りたければ戻れ。西に東、北に南、国が滅びては生まれる。わしらは忙しゅうてならぬ。群れを分けて飛んでいる有様だ」
「どこへ行かれる?」
「易京だ、公孫瓚が治める土地へ行く」
「おやおや。公孫瓚は滅びるのですね」
「ああ、やがて滅ぶ。あの綺麗な都が炎に包まれる姿を想像してみるがよい。まさに、まさに天上の楽の音だ。さあ、おいで」
鳥(じちょう)の本能が私を飛翔へと導く。
ぱちぱちと火の粉のはぜる音、珠玉で飾られた宮殿が身をよじってのたうち回る。私は禍々しい鳥の姿になって空へと身を投げた。そのときだった。
「わたしのやさしい鳥よ、いつかまた逢おう。私は君の前から姿を消すが
それはしばらくの間だよ。君とまた逢えるよ」
長安の壮大な宮殿に火が放たれたとき、私の愛しい公孫樹が言い残した言葉が聞こえた。
「おお、公孫樹。……あなた、再生したのね。あなたの声がこんなにもはっきりと聞こえる」
鳥(じちょう)の本性から解き放された私は、群れに帰るのをやめた。西門豹の祠の屋根の上で、私は群れに向かって叫ぶ。
「さよなら。さよなら。私は私の選んだ道を進みます」
「なんて馬鹿な女だ。寿命を縮めて人界にとどまる気だよ」
「なんて馬鹿な女だ。人界のどこがよい」
「なんて馬鹿な女だ。暗闇に墜ちる気だよ」
仲間たちは口々にわめきながら飛び去った。
続く。