胡桃の力

とても嫌味な男がいた。
ごますりが上手くて、放埓で手癖が悪いときている。
気に食わぬ者がいたら、策を弄して奈落の底に引きずり落とす。
当時の官吏は、多少の役得なら目をつぶってもらえたが、この男の場合、大盗賊そこのけに朝廷の税収をくすねとり、懐具合は裕福どころか王族にも等しかった。

かすめ取った財物を、悪所でやり手婆や悪友どもを集めて賭博に入れ込んで散財する。
あるときなど、公主の娘で、由緒ある家柄に嫁いでいた人妻を、美しい綾錦の反物や、精緻な織り模様入りの反物を積み上げてたぶらかして呼びだし、遊び仲間とこもごも同衾させた。

宴会では厨房の係りは気が休まらなかった。
高価な金の杯や、銅の鉢が消えてしまう。
厨房係りの生死にかかわる問題だ。
意を決して身体検査をすると、この男の懐や帽子のなかから出てくるのだ。同席した貴族たちは恥ずかしさのあまり、目のやり場に困ったという。
当然、免官させて政界から追放すべきだが、類まれな文才に恵まれていて、その才ゆえに首が繋がっていた。
醜聞まみれのくせに口癖のように「男と生まれたからには人に恥じてなるものか」と豪語していた。


男の名は祖珽(そてい)、字は孝徴。

※ていは環境依存文字。王へんに廷という字。
おもに魏晋南北朝時代北斉で活躍した。
華麗な文才のみならず音楽、とくに琵琶の名手で占いや医薬の術にもすぐれていた。
また画才にも恵まれていて、胡桃の油を絵の具に混ぜて絵を描くのが上手かったという。

この絵を北斉の長廣王高湛(こうたん。のちの武成帝)に献上し、「申し上げたいことがございますすれば人払いを」
とわけありげに目配せして口ごもる。
人がいなくなると、ごめんと長廣王ににじりより
「殿下には非常の骨相がございます。実はこの孝徴、殿下が龍に乗られて天に昇って行かれた夢を見たのてございます」
と、ささやいたのである。

※たんは環境依存文字で堪の字の土をサンズイに変えた文字。
高歓の息子たちの名前はみなサンズイがつく。

占いや呪術が人々を支配した時代である。
しかも長廣王は鬱屈した日々を送っていた。
兄の孝昭帝(高演)とともに政変をおこし、文宣帝の息子である廃帝高殷を廃位に追い込んだときに、孝昭帝は長廣王を皇太弟に立てると約束した。しかし、孝昭帝は約束を反故にしてわが子の高百年を皇太子に立てたのである。
皇太弟とは、次期皇位継承者のことである。

帝位はふいになるわ、刺客の影に怯えるわで、容易ならぬ日々を送っていたのである。
そこに、軽薄ではあるが当代第一といわれた才子が、妄言の罪を犯して近づいてきたのだ。
うれしいことをいってくれるじゃないか。
「もし、正夢であったら、貴兄を大抜擢しよう」
と、長廣王は笑み崩れた。
長廣王が即位すると孝徴は栄耀栄華を極めた。

思えば、北斉を興した文宣帝は孝徴を見るたびに「賊」と呼んだ。
文宣帝のときに、孝徴はみずから進言して胡桃から油をとる役所の役所の長官になった。
ところが、そこでも胡桃油をごっそりくすねて免官されている。
くすねた胡桃油で油絵の修練に励んだのであろう。心根は卑しいが、なんと知恵が回る男だろう。

最近、胡桃の力には驚かされた。
近くのスーパーで「胡桃とコウナゴ」の佃煮を買った。おいしいのでぱくぱく食べた。もったいないので五十グラムくらい食べたの。
すると翌朝、痛くて寝返りに不自由していた右ひざの痛みが、嘘のように消えていた。
バイトの間の四日間は、電動自転車で五、六時間くらい走る。膝にずいぶんと負担がかかっていたのだ。
痛くて、足を引きずりながら昇っていた階段も、あれっと笑ってしまう、らくらく痛みなしで昇れるのだ。
それからというもの、毎日、この佃煮を食べています。
コウナゴ(イカナゴ)の季節が過ぎると、ちりめんじゃこを使って自分でつくろうと思う。
胡桃の不思議な力を感じましたので、みなさんも、騙されたと思って試されてみては。