丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十九

丁夫人の嘆き  十九
  
 その日、皇居にもどられた天子は天下に大赦を下し、数ヶ月前に中平から光熹と改めたばかりの年号を昭寧と改元した。
 治世の安寧を願っての改元であったが、都には暗雲が垂れこめていた。あの騒動で秦から漢朝に伝わった「伝国の璽(じ)」の行方がわからなくなった。
 朝廷の庫には高祖が白帝の子である蛇を斬った「斬蛇剣」と、漢朝を奪った王莽の漆塗りの首が納められているが、首のような気味が悪いのはどうでもよい。正統な王朝の証である伝国の璽だけは失って欲しくなかった。伝国の璽を失ったということは、もはや漢朝から天命が去ったという啓示のように思え、心が沈んだ。
 天子は皇居にもどられたが、後ろ盾だった何大将軍と何車騎将軍を殺された。何太后が健在とはいえ、中官との結びつきが強かっただけに人望がない。天子の行く末が危ぶまれた。しかも董卓ときたら、たかだか并州牧だったが司空の劉弘を解任して自ら司空の位におさまってしまったのである。朝廷を侮るもほどがある。なぜ、公卿はこうも腑抜けなのか。
 執金吾の丁原が京師の護りの責めを一身に負わされて、董卓に殺された。あの一件が公卿の恐怖心を煽ったために弱腰になったらしい。丁原に罪はない、あるとすればそれは公卿すべてが負うべき罪である。董卓はみせしめに丁原を殺して、無言の圧力をかけたのだ。
 董卓の兵士は子が父を慕うように卓を慕い、卓にのみ忠誠を誓う者たちの集まりである。かれらに天子のご威光など通用しない。中官が滅びたら虎狼の董卓があんぐりと口をあけて待ちかまえている。なんとも危うい雲行きである。
 
 董卓が都に入って二日後のこと、孟徳が肩を怒らせてもどってきた。
 
 
 
続く。