淮南王劉安、丹を煉り豆腐生まれる

      淮南王劉安、丹を煉り豆腐生まれる
  
伝説によれば淮南王劉安が、淮南の八公山の上で丹を練ったとき、偶然に豆腐を発明したという。
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          淮南王劉安像 安徽省淮南市
           写真は騰迅 道栄より

 明代の李時珍の≪本草綱目≫に豆腐を≪穀部≫に入れていて、あわせて豆腐の原料、製法、製造工程およびその薬効を紹介している。
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           豆腐作りの行程     騰迅 道栄より


 李時珍はさらにわざわざ「まさしくこれは劉安が不老長生の丹薬を煉っていたとき、意図しないで石膏を豆乳(原文*豆腐漿汁)に少しばかり入れたら、化学変化を起こして固まって、乳白色の豆腐になった」と指摘した。

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 安徽省寿県の八公山上 昇仙台  写真はグーグルマップより
 劉安は自殺させられたのではなく煉丹の成果である「不老不死」丹薬をのんでここから昇天したのだと言われ る。器に残った薬をなめた犬や鶏まで昇天したという。
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      八公山昇仙台の案内板 グーグルマップより

 八公山は現在中国・安徽省淮南市の郊外にある。劉安のまわりにいた最も有名な者に、蘇非、李尚、左呉、田由、雷被、毛被、伍被、晋昌の八人がいた。むろん伍被から雷被まで頭には付かないが、みな「被」という名であるのはどうしてだろうか?これは春秋時代にみな、「被」という姓だったことによる。
 
 ≪捜神記≫にいう。劉安は天下の方士を召納した。この八公がちょうど門について淮南王に目通りすることを求めたとき、彼らは髭も眉もまっしろだった。門番は「わが王は長生の術を好まれる。先生には老衰を止める術をお持ちではないと見受けた。だから取り次ぐことはでませんぞ」と、つげた。すると八公は八人の童子に化したが、その顔色はまるで桃の花のように照り映えた。門番の知らせを受けた劉安は手厚く礼遇し楽を奏させた。このときの楽が≪八公操≫である。この八公はよく金を煉って丹を作ることができ、やってできないことはなかった。


 ところで、豆腐を発明したのは劉安か? また、豆腐が漢代につくられていたのかは疑問視されていて、中外の学者の説は一致しない。
ある研究者は、「劉安が方士を招いて長生薬を煉った。この丹を煉る過程において、にがりを用いて豆腐をつくる化学変化をみつけたのではなかろうか。それで劉安を豆腐の発明者としたのだろう」と推測する。つまり劉安の煉丹工房から豆腐が生まれ、その代表者劉安が発明者とされたというのだ。


 また有る人は「劉安が丹を煉る時にはそのまわりに道士がいたはずで、道士は菜食であるから、劉安に豆腐の製法を献上した。劉安はとても喜んで大量に作らせたので、これにより豆腐の発明者とされたのであろう」と推測する。
 長い間、中外の学者は宋代の「食譜」におおく豆腐が現れるので、このことから豆腐は唐代に発明されたものだろうと推定していた。
 ところが有る漢墓の考古学発見により、ついに漢代に豆腐がすでに存在したことが証明されたのである。最も遅くとも豆腐の発明は漢代にさかのぼり、劉安率いる方士たちの集団が煉丹の過程でたまたま豆腐が生まれたという説も、あながち否定できない。
 
以上はrufodao.qq.com/a20140223/008029.htm
騰迅道栄より抜粋 

なお、淮南王劉安が昇天した山は八公山の向こうの火石山だという。