妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 六
悪人が必要なときもあるのか――。玉座の精の言葉に心がざわついた。端正な顔とは裏腹の、小汚い行いをさらりと言ってのける。やはり妖物だ。妖物が本性を現した。彼が品のない音をたてて人を食らう様子を思い浮かべ、私は眉をひそめた。神のような顔で民を食らい続けるのだ。わがじ鳥一族は、玉座の精にくらべると可愛い存在ではないか?
わが心よ、嘆くな、鎮まれ。あれは妖(もののけ)のなかの妖(もののけ)、人間どもの理想の具現だ。姿なきものから生まれた陽炎だ。しょせんこの世の中とはこんなものか?
「董卓は大悪人ですよ、あのような男でもよいのですか?」
「趙姐さん。妖(もののけ)でも奇麗ごとを口にするのだね」
玉座の精がけらけらと笑った。品のない笑いかただ。
「気味が悪い、その笑いかた」
「姐さんは権謀術数の数々を、みみずくに似た丸い目で見てきただろう」
「……」
「不義が正義にすりかわり、正義が不義とよばれる。勝った者が正義で、負けた者が不義となる。そして悪人は正義という仮面をかぶって善人を装う。だれが心の中までのぞく。のぞきゃしないよ。外から見えるのは正義だ、立派なものじゃないか」
「そういうわけで玉座に座るのは正義でしかないというわけね」
「さすが姐さんだ、物わかりがよい」
「正義……ですか」
唇が震えた。言うまでもなく、今や正義は道ばたに転がっている石ころでしかない。正義が色あせた時代ほど不幸なものはない。ああ、……私にはわからない。神のように輝く正義……。
公孫樹よ、あなたならどう答えるの。あなたの梢に憩い、私は諸国の物語をした。あなたは私の話に耳をかたむけ、そしていつもゆらぎのない答えを返してきた。あなたと暮らした長安の、あの時の流れが無性に恋しい。ふと、長安に行けば、蘇った公孫が私を待っていそうな気がした。
「どうして長安に行かねばならないのだ」
玉座の精は冷ややかな目を私にむけた。
「ああ、あの者……。まことに天子なのか。董卓の意のままに動く人形ではないか! 無礼な、玉座を冒涜する者を私は許さない」
なんだか私は無性に腹を立てていた。
「趙姐さん。妖(もののけ)のくせにうぶな人間みたいにむきになって、おかしいじゃないか。姐さんは、きっとその心ゆえに身を滅ぼすよ。私たちは迂闊に動いちゃだめなのだ、動けないのさ。そういうようにできている、人の心を超えたものだから」
玉座の精と玉璽の精は顔を見合わせて、にっと笑った。私はまるで、双頭の蛇がそこにいるような錯覚を覚えた。
私はきゅつと唇を噛む。なぜ悔しいのかわからない。滅びてもよい……、真のもののために死ぬのなら、それでもよいと思った。妖(もののけ)であることがこれほど哀しいと思ったことはなかった。そしてふとそのとき、玉座の精たちも滅びる運命を背負っているのかもしれないと思った。
「君たち、雒陽(らくよう)と運命をともにする気だったのですね」
すると彼らは無言のまま私に光る眼をむけた。
「お似合だわ、目を閉じれば天界の都のような雒陽がありありとみえる。君たちには雒陽が似合っている」
不意に悲しみがこみ上げてきて私は背をむけた。つぎに会うときは玉座の精たちは別の顔をしていて、私のことを憶えていないかもしれない。
洛神は病み衰えて眠りについているのかもしれない。都は董卓の放火で灰燼に帰した。荒涼たる雒陽。宮殿跡の土台を私は掌で撫でてみる。さみしい、さみしいと土台が泣いていた。光り輝いた都はもはや夢の夢でしかない。
「さらば、私の雒陽。花咲く日がまたくるわ」
頬をつたう涙をぬぐい、私は天空を仰いだ。広大な天は人の哀しみにたえかねたように暗い。ああ、哀しみの真っただ中に身をゆだねよう。私は両の手を広げて空を翔けた。耳元で唸る風までが悲歌慷慨するように思えた。たぶん今、私は鳥の姿をしているに違いない。人の心を持った禍々しい鳥と云えども、禍々しい心を持つ人間であるよりもまだましだ。
下界を見下ろすと長安に向かう街道に野ざらしの髑髏が点在していた。まるで長平の古戦場だ。
烏に問うと、董卓の命令で都の民は追い立てられるように長安へ移動したが、途中で飢えて倒れてしまったのだという。また、情け容赦なく盗賊が旅人を襲った。「蟻の行列が死に向かって行進したのだね」と、烏の親父が教えてくれた。
時に長安は、衰えやつれて輝きを失っていた。公孫の肩に憩い歌を歌っていたころの長安ときたら、天空にそびえる台(うてな)や高楼が星や月と語らっていた。宮殿の甍は日に照り輝き、壁に塗り込めた匂いよき草の実が芳香を放つ都だった。楽を奏でながら貴人の行列が行った。公主の行列が天子の行列が行った。
戦があった。あまたの戦をへて長安はやつれた。今では宮殿らしい建物と言えば役所のみで、天子は役所を皇居にしていた。これでは玉座と玉璽の精が長安に行くのをしぶったのも無理はない。
公孫樹の痕跡を探して私は薄汚い長安をさまよったが、やさしい彼を偲ぶものは何ひとつなかった。
疲れを覚えた、数百年分の疲れを覚えて私は槐(えんじゅ)にもたれ目を閉じた。しばし、そのまままどろんだらしい。風がさわさわと槐の葉をゆすって行った。
「公孫はいつも小鳥を待っていた。公孫は姿やさしい小鳥のさえずりを心底から愛した」
槐の葉ずれがそう言った。はっとして私は目をあけた。
「公孫はいつも小鳥を待っていた。公孫は姿やさしい小鳥のさえずりを心底から愛した」
またもや槐の葉は風に身を踊らせて歌った。
「ありがとう、ありがとう」
風に、葉ずれの音に私は深々と頭を下げた。これであと百年は生きていけそうに思えた。
時は人界の暦の初平二(西暦191)年。
おおざっぱにいうと神州は、太行山の西側は天子を擁立した董卓の勢力下にあり、太行山の東側は「打倒董卓、漢室を守れ」という大義の旗のもとに結集した義旗の勢力下にあった。義旗は人誑(ひとたら)しの袁紹を盟主と仰いだ。
袁紹と董卓。玉で出来た人と泥で出来た人の差は一目でわかる。そして義旗の勢力下では黄巾の賊徒が勢いを伸ばしていた。
この年の前年、曹操が董卓を討とうと西へ進み、成皋関へと進んだがその途中で董卓の武将に惨敗した。曹操は実に風変わりな男だ。敗軍の将にもかかわらず「董卓を討つのはいまだ」と、諸将を煽って馬鹿にされていた。
袁紹の従兄弟に袁術という者がいた。任侠である。人好きがした。だが、袁紹を妬み、彼への闘争心むきだしだった。袁術は南陽(河南省南陽市)によっていた。南陽は大郡である、戸口は多く豊かな郡である。その袁術配下の武将に孫堅という者がいた。江南の出で、度胸があって戦がうまい。それが董卓配下の武将にいったんは破れたものの、次にはうちまかして洛陽を攻め、占拠してしまった。
続く
じ鳥は、次の下に鳥がくっついた字です。