2010-01-01から1年間の記事一覧

丁夫人の嘆き 雑記 九

丁夫人の嘆き 雑記 九 董卓に反発した曹操が洛陽から逃れた道筋 雒陽(らくよう)を逃れた曹操は、間道をとって鞏義市から滎陽市の上街区のはずれあたりから西関(これが霊帝がおいた八関の一つの旋門関で、黄巾の賊を防ぐためにもうけられたもの)を通り、虎牢…

マタタビ癖が悪い

マタタビ癖が悪い 天高く馬肥える秋、数日まえの暑さが嘘のようです。いやーだ、まだ入道雲だわとうんざり気味だった空も、今日は遅ればせながらすじ雲やうろこ雲が主役だよっと自己主張していました。 夏の間、ニヤンタは少し痩せた。なんとなく元気がなか…

丁夫人の嘆き 雑記 八

丁夫人の嘆き 雑記 八 屠る 略す 抜くの違い 城を屠る 城邑を破り取り、その人を誅殺すること六畜を屠るがことしをいう。 地を略す 実際に行ってこれを取ることで、功力を用いることが少ない場合をいう。 城を抜く 城邑を破りこれを取ること樹木を抜くがごと…

あいかわらず掃除機が好き

あいかわらず掃除機が好き サイクロン式の掃除機は怖い。 でも旧式のは大好き。 ぷにゅ、ぷにゅ。掃除機は猫のマッサージ屋さんだ思っている。 あれ、うちの猫ちゃんはどこ? そんな時は掃除機をかける。 ニヤンタがいずこからともなくやってきて ころん。 …

魔物から護ってくれた真珠の首飾り

魔物から護ってくれた真珠の首飾り ちょっと怖くて不思議なことなのですよ。 わたしの知り合いの、名前はA子さんとしておきます、仮名で見知らぬ人を傷つけてはいけませんからね。 A子さんはちょっと事情がおありで昔、お子さんと一緒に古びた長屋のような木…

丁夫人の嘆き 雑記 七

丁夫人の嘆き 雑記 七 成皋関(せいこうかん 河南省) またの名を虎牢関 平凡社『中国古典文学大系21 洛陽伽藍記.水経注(抄訳)』を以下に引用 『穆天子伝』には「(周の)天子が鄭の圃(はら)で、鳥を射、獣を猟(かり)し、虞の人に命じて林を掠(き)らせたとこ…

丁夫人の嘆き雑記   六

丁夫人の嘆き雑記 六 漢代の宿駅 後漢の都を護る八関 漢代の宿駅 三十里ごとに一宿をおいたとあります。 漢代の一里はおよそ414mですから一宿はおよそ12.42キロに相当します。 函使(かんし)とは文使いのことで、地方から中央へあるいは中央から地方へ官の文…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  二十五

丁夫人の嘆き 二十五 いい値で秣(まぐさ)を買ったので農夫は機嫌がよかった。 わたしたちは大伾山(だいひさん 河南省)の農家に立ち寄った。冬の日は短い、ことに山中の日暮ははやい。急がなくてはならないのに孟徳はもてなされた白湯をのんびりとすすってい…

ニヤンタの恩返し

ニヤンタの恩返し ほら、ジャンボ宝くじの季節がくると必ず、ご利益がある○○神社とか福を呼ぶ売り場のオネエサンの名前、猫の足跡とかが週刊誌やテレビで話題になるじゃない。 猫守は毎年毎年、税金のように奉納するジャンボのお代金に嫌気がさして、このご…

生傷が絶えないぞ ニャンタ

生傷が絶えないぞ ニャンタ ニャンタが生傷だらけなのではない。 猫守が生傷だらけ。昨日の朝は足をガブ。それで目が覚めた。昨日はけがの功名、三十分寝過ごした。弁当作らなきゃ、燃えるゴミの日だ、ゴミ出し。ばたばた大忙し。 今朝もガブ。 「かむ猫はい…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  二十四

丁夫人の嘆き 二十四 わしの殿様に別れを告げねばならぬ。不思議なご仁よ、わしらを血が通った人間として認めてくれたはじめての貴人だぜ。 気が急くのに道は荷車や人でごったがえしている。「道をあけてくれ。馬が通るぞ」と繰り返しながら蟻の葬列のような…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  二十三

丁夫人の嘆き 二十三 開門したばかりの上東門は人でごった返し、荷車の上で籠に入れられた鶏や鵞鳥がしきりに鳴き騒いでいた。博労の李は人込みをかきわけて大男の門番に近づくとぽんと肩を叩いた。 大男が振り返り髭面せましと笑みを広げた。 「よう。博労…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十二

丁夫人の嘆き 二十二 「殿様のお呼びがかかりました」と、さっきから博労の李が奥の部屋で待っていた。 持ち出すものの中には裁縫道具も入用だわと、足音を忍ばせわたしは控えの間に入った。 「……きのうのうちに袁紹が逃げましたぜ」 「うむ。逃げたか」 「…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十一

丁夫人の嘆き 二十一 「中官が滅んだのに都に居座りおって。用はない、そうそうに立ちされ」とか「なんとも不愉快な男、身の程知らずにも程がある」と、董卓の陰口を叩いているうちはまだよかった。董卓の入城に都の空気は張りつめていたが、たかだか三千の…

幽霊の子守をさせられた少女

父が子供だった頃に本当にあった出来事です。 父が生まれ育った港町は北側に山があって、海の幸と山の幸に恵まれた美しい町でした。 昔はみんな貧しくて、小学校にも行けない子供が大勢いました。そんな子供たちは口減らしのために奉公にだされたそうです。 …

幽霊だと思うけど

幽霊を見たなどと言えば、わたし、変な人だと思われるでしようね。 でも、あれは幽霊としか思えないのです。 五年まえだったかしら、秋の夕暮れ、市営の墓地にお墓参りに行ったのです。 お盆やお彼岸には墓地は墓参りの人でにぎわい、食べ物を売る屋台まで見…

丁夫人の嘆き  雑記 五

丁夫人の嘆き 雑記 五 王莽の首 劉邦の斬蛇剣 孔子の屐(はきもの)が炎上 西晋の恵帝治世は元康五(295)年、閏月庚寅(通鑑では冬十月となっている)、 武庫で火災が起きた。 晋の大臣である張華は乱を疑い、真っ先に兵士を召して宮中の警護にあたらせ、それ…

丁夫人の嘆き  雑記四

丁夫人の嘆き 雑記 四 グーグル地図で どこでもドア気分 白馬寺と宝 〈白馬寺〉 河南省洛陽市を拡大する→洛陽市の右の方に白馬寺村鎮があらわれる。右上ボックスをクリックして写真をチェックする。ベンガラ色の丸い建物がある写真にマウスポイントをあてる…

丁夫人の嘆き  雑記三

丁夫人の嘆き 雑記三 グーグル地図どこでもドア気分 〈丞相府曹操塑像〉 河南省許昌市の地図を拡大して同市内の魏都区を見る。右上のその他のボックスをクリックして写真にチェックを入れる。すると右手を剣にあて、左手を横に伸ばした像の写真が現れる。そ…

丁夫人の嘆き  雑記二

丁夫人の嘆き 雑記二 グーグル地図どこでもドア気分 その一 漢の高祖、白帝の化身の大蛇を斬るの像 江蘇省徐州市銅山県から夏邑県を通る道路の中間地点で「その他」のボックスをクリック。写真にレのチェック。写真が現れるとマウスのポイントをあてると、劉…

丁夫人の嘆き  雑記一

丁夫人の嘆き 雑記一 ノートより。 〈楚歌のいきさつ〉 項籍は西楚の霸王になり天下の命を司り、土地を分けて諸侯を任免した。秦はここにほとんど滅び、その後、五年で天下は漢に統一される。 垓下(がいか。安徽省霊壁付近)で漢の高祖に囲まれた項籍は四面…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十

丁夫人の嘆き 二十 「いかがなされまし……」といいかけてわたしは言葉をのんだ。当世の男たちに比べると、孟徳はおのれの感情に率直だ。のちに手痛い裏切りにあってから、感情を封じ込めるようになったが、このころは闊達で、一種の感動すら催すほど率直だっ…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十九

丁夫人の嘆き 十九 その日、皇居にもどられた天子は天下に大赦を下し、数ヶ月前に中平から光熹と改めたばかりの年号を昭寧と改元した。 治世の安寧を願っての改元であったが、都には暗雲が垂れこめていた。あの騒動で秦から漢朝に伝わった「伝国の璽(じ)」…

猫、ねこを拾うのその後

数日前、Iさん家を訪問した。 連日、三十五度とかの猛暑。一時間くらい自転車を漕ぐと頭がいたくなる。猛暑の昼前、Iさんの庭先にはプリンちゃんやミミちゃんの姿はない。 どこかでお昼寝かしらと思ったら、呼び鈴を押すとドアの向こうでガサゴソと音がし…

不思議な水

水のお話です。 水に関する話は世界各地にありますね。 若がえりの水、病を治す水、お酒になった水など。 荊州南陽郡の酈県(りけん?れきけん? 今の河南省南陽市の西、内郷)の北八里(およそ四キロ)に菊水という川があった。 菊水の水源のかたわらには芳…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十八

丁夫人の嘆き 十八 上の絵図は水経注の洛陽城図。左右を太線の部分でつなぎ合わせると一つの図になります。北魏の洛陽図ですから、漢、三国魏よりも洛陽城は大きくなっていますが、ある程度、想像をかきたててくれると思います。白馬寺まで行ったことがあり…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十七

丁夫人の嘆き 十七 前夜、雒陽宮に上がった火の手を遠望した董卓は、すぐさま都に向かって行軍した。強行軍だったとみえ、翌日の辛未(二十八日)の鶏鳴に雒陽の西の城門に着いた。城門校尉から政変の経緯を聞くとすぐさま北芒(ほくぼう)に進んだ。 鶏鳴は…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 十六

丁夫人の嘆き 十六 八月庚午(二十七日)、事態は動いた。 北宮に籠っていた張讓や段珪たちは天子の権威が衰えたことを身をもって感じたに違いない。 「袁紹は大悪人よ、のう。天子の宮居を攻めおる」と、舌打ちしたに違いない。天子が死んでも屁ともおもわ…

変な格好で失礼します

暑いからなりふりかまってられない。 ニヤンタがそう申しております。 夢の中で福を招いているらしく、お手々はこの通りです。 あられもない格好で暑中お見舞いもうしあげます。

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 十五

丁夫人の嘆き 十五 あわてた張讓たちは太后に、「大将軍の兵士たちが反乱を起こし、宮殿に放火して今、尚書の門を攻めております。なにとぞ難を避けられますよう」と、太后と天子と陳留王(劉協)を促し、南宮の楼閣と北宮の楼閣を空にかけられた橋を渡って北…